長田弘「詩ふたつ」より
「人生は森の中の一日」
何もないところに、木を一本、わたしは植えた。それが世界のはじまりだった。
次の日、きみがやってきて、そばに、もう一本の木を植えた。木が二本。木は林になった。
三日目、わたしたちは、さらに、もう一本の木を植えた。木が三本。林は森になった。
森の木がおおきくなると、おおきくなったのは、沈黙だった。
沈黙は、森を充たす 空気のことばだ。
略…
やがて、とある日。黙って森をでてゆくもののように、わたしたちは逝くだろう。
わたしたちが死んで、わたしたちの森の木が 天を突くほど、大きくなったら、
大きくなった木の下で会おう。わたしは新鮮な苺を持ってゆく。きみは悲しみをもたずにきてくれ。
そのとき、ふりかえって 人生は森の中の一日のようだったと言えたら、わたしはうれしい。
《あとがきより》
―人という文字が、線ふたつからなるひとつの文字であるように、この世の誰の一日も、一人のものである、ただひとつきりの時間ではありません。一人の私の一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在る自分がこうしていま生きているのだという、不思議のありありとした感覚。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆。―
またひとつ大切な言葉をもらった気がする。
「いま自分が生きている時間は、死んでいった人達が生きられなかった時間、遺していった時間」
なんか胸に突き刺さる思いがしたので、ここに遺しておくことにします。
「人生は森の中の一日」
何もないところに、木を一本、わたしは植えた。それが世界のはじまりだった。
次の日、きみがやってきて、そばに、もう一本の木を植えた。木が二本。木は林になった。
三日目、わたしたちは、さらに、もう一本の木を植えた。木が三本。林は森になった。
森の木がおおきくなると、おおきくなったのは、沈黙だった。
沈黙は、森を充たす 空気のことばだ。
略…
やがて、とある日。黙って森をでてゆくもののように、わたしたちは逝くだろう。
わたしたちが死んで、わたしたちの森の木が 天を突くほど、大きくなったら、
大きくなった木の下で会おう。わたしは新鮮な苺を持ってゆく。きみは悲しみをもたずにきてくれ。
そのとき、ふりかえって 人生は森の中の一日のようだったと言えたら、わたしはうれしい。
《あとがきより》
―人という文字が、線ふたつからなるひとつの文字であるように、この世の誰の一日も、一人のものである、ただひとつきりの時間ではありません。一人の私の一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在る自分がこうしていま生きているのだという、不思議のありありとした感覚。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆。―
またひとつ大切な言葉をもらった気がする。
「いま自分が生きている時間は、死んでいった人達が生きられなかった時間、遺していった時間」
なんか胸に突き刺さる思いがしたので、ここに遺しておくことにします。