網走には刑務所と監獄と呼ばれる2つの施設があって
・網走刑務所→現役の刑務所
・網走監獄→もともとリアルの刑務所だったのを移設・復元して博物館にしたもの
の2つ。
女満別の空港でレンタカーを借りてまずは博物館・網走監獄に行ってきました。
監獄に入るのに1,100円ってなんとも複雑な心境です。
結構広くてモデルコースとして60分コースと90分コースってあるんだけど、ちゃんと見てたら2時間以上はかかるね。
意外だったのがどっちが誘ってきたのか分からないけど若いカップルが数組いたこと。
例外なく皆さん、公園散歩みたいになっててトコトコすぐに帰ってらっしゃいました。
彼氏・彼女のどちらかがカメラ好きとかでもない限り、確かにデートとしてはあんまり楽しい場所ではないですよ。(笑)
『網走刑務所』ってのは名前だけは全国区だけど、それ自体については殆ど知られてないじゃないですか。
僕は今回来て良かったと思ったのが、この網走刑務所が作られた理由を知れたこと、これに尽きます。
時代が江戸から明治になり北海道の開拓が一気に進むわけだけど、その時に時の政府は囚人を使うことを思いつくんですよ。
当時はロシアが北から攻めてくる恐れがあったので、その防衛の為に旭川から当時小さな漁村だった網走までに道を作る必要がある、と。
そこで網走に刑務所を作り、全国から無期懲役囚を中心に1,200人集めてその囚人たちを道の開拓に充てたわけです。
当時未開だった旭川から網走までの230km、普通に工事したら3年かかるところを囚人たちを昼夜働かせて8か月で道路を開通させる荒業。
建設会社の人間でもない、ただの囚人だからね。
しかも、なんもない平地に道を作っていくんじゃなくて、大自然北海道の森や林の木を切り開いて道を作っていくんだから。
もちろん工事をする工員でありつつも身分は囚人なので、工事中は囚人が逃げないように鉄球を足に枷したり、囚人同士を鎖でつなげたりして。
結果どうなったかっていうと、8か月の工事で211人の囚人が病気や栄養失調で亡くなられています。
当時の政府の考え的には、どうせ囚人だから死んだら食事の手当などしなくて済むので死んだら死んだでOK的な考えだったらしく。
現代において8か月の工事期間で200人以上死ぬ工事現場って社会問題どころか世界的なニュースになりますよ、間違いなく。
この開拓の為に網走刑務所が作られたっていうのは全く知らなかった。
因みに狭い部屋に多くの人が詰め込まれることを『タコ部屋』って呼ぶけど、これ北海道の開拓に駆り出された囚人たちが寝泊まりする当時『動く監獄』って呼ばれたこういう小屋のことが由来です。
枕は長い一本の丸太とかさ、ちょっとシンどいなぁ・・・しかも、北海道だから寒そうだし・・・
網走監獄、その施設自体よりも、その成り立ちの意味で勉強になりました。
博物館・網走監獄