AUショップが目に入ったので、そういえば・・・と飛び込んできました。

 

スタッフのお姉さんに

 

『多分、自分名義でauの回線を一つ持っていると思うんですが、電話番号をお伝えするので確かめてもらっていいですか?』

 

って、我ながらアホな質問だ。

 

亡くなった母親の携帯の回線、番号に思い入れもあるのでいつか自分で使おうかと思って名義変更したところまでは覚えていたけど、そのあとどうなっているのかよく分からなくなってたんで聞いておこうと思ってね。


もし今でも回線を生かしてたら、少なくとも毎月僕の何かしらのクレジットカードから引き落としがなされてるだろうし。

 

携帯の番号なんて今時電話帳で呼び出すなり履歴からかけるから、自分の番号以外全然覚えてない。

 

ただ、母親の番号だけは僕が中学・高校生の頃に公衆電話からよくかけてたんで、不思議なことに今でもソラでいえる唯一の電話番号。

 

なんだか断捨離が出来る人は素晴らしいみたいな価値観が幅を利かせている息苦しい世の中で、僕は猛烈な『アンチ断捨離』としてもはやモノだけではなく亡くなった人の電話番号でさえ大事に保存しているのです。

 

個人的には『断捨離』自体のコンセプトは全然いいと思うんですよ、特に否定もしません。

 

ただ、正直な思いを書くとですね、『断捨離』ってのはちょっと宗教っぽくて、熱心に信仰している『断捨離スト』の人達が苦手ですね、ちょっと。

 

関係でいうと、断捨離と非断捨離ってのは、お酒とたばこの関係に似てるように感じます。

 

たばこを吸う人って周りにたばこを吸わない人がいたとしても、『おら、お前たばこくらい吸えよ、おらぁ!』ってほぼならないじゃないですか。

 

なんなら『自分、たばこを吸っててすみません・・・』くらいの肩身の狭い思いで生きていると思うんです。

 

かたやお酒を飲む人って周りに飲まない人がいても、『おら、お前酒くらい飲めよ、おらぁ!飲めない?いやいやいや、そういうのはいいから、とりあえず飲めよ!』ってめっちゃ強要してくる人がいるじゃないですか、全員が全員じゃないにしても。

 

これと同じように『非断捨離スト』の人ってあくまでも身の回りのモノで個人的価値観で捨てたくないものを取っておくだけで、それを周りの人にまで強要する人ってそんないないと思うんだけど、『断捨離スト』の人ってところかまわず周りの人の他人の所有物にも『断捨離』をススメてくること、多くないですか?

 

なんだろうなぁ、折伏(しゃくぶく)っぽいというかなんというか。





氷川きよしさんって久しく見てなかったんだけど、ちょっとびっくりしたな。


アレだよね、だいぶ生き生きしてるね、この感じは。


綺麗だね。