人生二度目の本家、松陰神社。
以前のブログでも書いてるけど、僕が上京してきて初詣に行ってたのは世田谷の松陰神社でした。
無理やりこじつけっぽく書くとさ、僕が子供、小学生の頃だね、お小遣いがもらえなくてさ、その代わりに歴史の本だったら買ってもらってた。
で、最初の一冊目、それは僕じゃなくて父親が選んで買ってくれたんだけど、それは吉田松陰についての伝記だったね。
それがまさかね、新選組に傾倒し、佐幕派になるなんて・・・(笑)
お決まりの松下村塾とかを見て、
参拝もして
御朱印をもらいました。
前回来たときは『松陰神社』って書かれてたけど、
今回は『至誠』、吉田松陰の言葉、至誠通天から来てるものと思われます。
ここでですよ、僕、気付いたんです。
あっ!!!
って。
御朱印帳を渡すときに袋から出そうとしてて、その時神社のスタッフの方の視線が僕が使ってる袋に向いてるような気がして。
別にそのスタッフさんも絶対深い意味はないと思うんだけど、僕的にはそれが『気付き』になってちょっと恥ずかしかった。(笑)
僕が御朱印帳の入れ物として使ってる袋、これはないよな・・・って自分でもちょっと思ったよ。
吉田松陰先生の『至誠』と同じく『誠』の文字。
ただ、こっちは幕末当時に長州(山口県)の志士たちをバッタバッタと切り殺してた新選組の『誠』ですから・・・(笑)
この組み合わせ、やばいね・・・写真撮ってて、自分でもちょっと笑っちゃった。
笑っちゃったけど、これは深いですからね。
同じ『誠』の字、言うを成す、つまり武士に二言なしの精神ですよ。
正義の反対は、悪ではなくもう一つの正義、みたいに言うじゃないですか。
日本の幕末ってほんとそうだと思ってて、この立場・思想の全く違う吉田松蔭と新選組が掲げる『誠』、深いよね。
ってゆうかですよ!
今回、急遽萩空港に飛ぶことになったから気付かなかったけど、僕、山口に来てたんですよ。
昔でいう長州藩、完全に敵地、アウェイですよ!
今回、萩の城下町を回っててさ、もう幕末のビッグネーム由来の史跡がバンバンあるわけですよ。
高杉晋作だ、桂小五郎だ、なんだと。
ただですよ、僕も基本的には一般人よりは幕末の志士について詳しいかもしれない。
ただそれは、例えば僕が高杉晋作について詳しいとしたら、それは阪神ファンが巨人の選手にも詳しいというのに似ています。
要するに『敵』として、知っているんです。
先日さ、長崎に行ったじゃないですか、あたし。
その時のことって、全然書けてないんだけど、国宝でもある大浦天主堂とか書くべきだよね。
例えばさ、坂本龍馬が設立した亀山社中跡とか、
見にいってるんですよ、もちろん!
でもね、多分、心の奥底では正直これらの坂本龍馬とかを『推し』てないからさ、やっぱブログとかにも書いてないんだよね。
書きたくないから書いてないってわけじゃなくて、あくまでも優先順位としてはそんなに高くないというか、自分の中で。
何故なら私がこの幕末においては、完全に佐幕派的思想、正確には佐幕派から見た歴史に完全に感情移入しているからです。(笑)
正直言って、徳川家康ってそんなに好きではないんです。
それがもう最後の将軍・徳川慶喜の頃には、完全に徳川びいきな不思議。
今ちょうど、自宅では司馬さんの『徳川慶喜』を読み返してるところだし(笑)
日本人ってさ、『儚い』のが好きなんだよ、多分。
NHKドラマの『真田丸』があんだけヒットしたのだって、あれはやっぱり負けた豊臣方だったからですよ。
関ヶ原の戦いについての番組だって、基本負けた『西軍』派からの視点のものが多いじゃないですか。
2018年は明治維新から250年で日本各地でいろいろな歴史的なイベントが行われたと思うけど、西日本を中心に山口(長州)なんて絶対『明治維新250年』だろうけど、福島(会津)を中心とした東北地方だと『戊辰戦争250年』だからね。
話がなんだか脱線しまくったけど、要するに私は、あまりにも心の準備をせずに敵地・長州に飛び込んでしまいました。
時代が時代だったら、切腹ものだったでしょう。