緊急事態宣言がでた後に、いきなり日本全体、特にコロナ感染者の多い東京などの大都市を中心にテレワーク、テレワーク。

 

それから3ヶ月ほど経って。

 

世の中テレワーク一辺倒だったけれども職種や業務によってはテレワークができない人もいるわけで、そろそろテレワーク VS 非テレワークの労働者のバランス、直接的に書くとテレワークができない人のストレスというか不満を考えないといけないタイミングになってきた会社も多いんじゃなかろうか。

 

そして、とりあえずこれまでは人間の物理的な接触を避ける意味でのテレワーク、要するにとりあえず『#ステイホーム』していてくれ!的な意味合いが強かったテレワークが、今後はテレワークとコロナ以前の平常時のオンサイトワークというかオフィスワーク、実際比べてみて業務量や効率はどうなの?という検証がされ始めると思います。

 

僕の業務には『判子システム』がガッチリ組み込まれていて、そして同じ業務をシェアする同僚さんがいないので基本出社して働いています。

 

世間では『判子』がテレワークを防ぐ障壁のようにつとフューチャーされていて、確かに『The Japanese』文化を象徴するものなので槍玉に上がりやすいんだけど、僕はもう一つの障壁を見つけてしまいました。

 

もはや見つけたというか、コロナの前から思っていたけど・・・(笑)

 

それは、『原本主義』。

 

判子みたいに象徴的なものではないからテレビ番組でも取り上げられることは今後もないだろうけど、日本って国は本当にこの『原本』ってのが大好きなのです。

 

冗談みたいな話だけど『メールの原本とそのコピーを一部づつ』とかあるんだから、官公庁に提出する時に。

 

メールを2部プリントアウトして、霞ヶ関で『どっちが原本ですか?』と聞かれ、『えーーっと・・・こっちが原本でこっちがコピーです!』なんて、もはやコントかよ?っていうやりとりが昭和に始まり脈々とこの令和にも引き継がれているのです。

 

そもそも『判子主義』も、もとを辿れば『原本主義』からきてるような気がしてなりません。

 

会社には日々多種多様な請求書が送られてきて、その請求書に支払いの『依頼書』的なカバーをつけて経理部に回している企業が多いと思います。

 

その時の請求書は、もちろん『原本』でないと処理をしないという会社も多いでしょう。

 

となると請求する側も『原本』を発送するために出社しなければならないし、受け取る側もその『原本』に支払いの依頼書をつけて経理部に回さないといけないので出社する・・・美しいまでのスパイラル。

 

これが請求書だけじゃなく、多くの書類、少なくとも社内用書類は『紙の原本でなくとも可』で進められれば、だいぶ業務も楽になるし、テレワークにも有効だと思うんだけどなぁ。

 

ただ『電子文書』と『電子化文書』の違いがあんまりよく分かってないような人が業務フローを組むと・・・要原本、ただし原本を全て電子化(スキャン)して事前に申請。という、僕が『悪魔のフロー』と呼んでいる状況に陥ります。