先生のいない三茶をプラプラとさまよい、気付いたら私は台所家の前に立っていた。
最近、焼肉を中心にローテーションを組んでいたので、ローテの谷間は回転すしで回していくのが流儀だろう。
不思議なのはさ、あんだけ好きだったホッキサラダの軍艦、これがもうあんまり美味しく感じられなかった。
恋と味覚は上書き保存。
僕の味覚は今、渋谷センター街は元祖寿司のツブマヨに恋をしてしまっているようだ。
たださ、代わりにヤバいのを今日初めて食べました。
サーモン親子軍艦
これ、飛んだ。
昔さ、外人の友達が言ってたのかなんかの記事で読んだのか記憶朦朧だが、外人からしたら親子丼が旨いのは分かるし、料理としての組み合わせとそのコンセプトも良いと。
ただ、あの親子丼を『親子』という角度から考察し、そしてネーミングしてしまう日本人は外人からしたら気持ち悪いし、クレイジーらしい・・・(笑)
ここらへんの感覚の違いって、面白いよね。
確かにさ、大人になって親子丼のことについて深く考察することなんてないんだけど、小さい子供に『親子丼って何で親子って名前なの?』って聞かれて説明してあげたら、もしかしたら『かわいそう・・・』って思うかもよね。
そんなかわいそうが吹っ飛ぶくらいのサーモン親子軍艦の美味さでした。
この台所家はもう20年近く通っていて、僕が人生で初めて『えんがわ』を食べたのがここだった。
何だこれ?と思ったよね。
佐賀に住んでいる頃、食事のレパートリーが非常に限られていて、外食するのは焼肉と回転寿司くらいであとは基本自宅で食事だった。
洋食はたまに出るスパゲッティーくらいで、あとは基本全て和食。(因みにパスタという単語を知ったのは佐賀を出た後の19歳の時でした。)
今、カッコよくいうと『地産地消』なんて言葉がもてはやされてるけど、当時父親は『家から四里以内(約16km)』で作られた、または取れた食材で食事をする。なんて言ってるような人だったので、マクドナルドなんて出てくる隙があるはずがなかった。
魚も内海の有明海で取れる魚が中心だったから、外海で取れる魚の種類なんて全然知らなかったよね。
その反動で、アメリカに行ったら主食はコーラとキットカット、たまにジャッキンのジャンボジャックというスーパージャンク生活に入っていくわけなんだけど。
なんの話してたかもはやあれだけど、要するに今後は元祖寿司ではツブマヨ、台所家ではサーモン親子軍艦、このローテーションで当分は回していこうと思います。