狭井神社の本殿に向かう途中にある池のほとりに


 

三島由紀夫さんが『清明』と認(したた)めた石碑がありました。


 

説明によると、三島さんは以前大神神社の御神体である三輪山の山頂に登ったことがあり、そのときの感銘を『清明』と認めたらしいです。


 

また、続く説明で『後日、左の感懐が寄せられた。』とあり、恐らく登山をしたときの感想を文章にしたのかわかりませんが、その感想があまりにも素晴らしくて現地で参拝するのも忘れるくらい何度も繰り返し目で追いかけました。

 

感懐の部分を見やすく切り取っておきます。


 

今また、何回も繰り返し読んでしまったよ(笑)

 

僕自身の所感だと『手紙』に認めたものだと感じたので『手紙』だったという仮定ですが、こんな日本語は、書けないなぁ・・・。

 

プロの作家が作品の中で操る日本語はどこかで『これは作品だ。』という棲み分けを頭の中で判断できなくもないが、僕も含め誰でも書く機会のある『手紙』でこのレベルの日本語の文書を見せられると、流石、三島由紀夫・・・と唸るしかない。

 

子供の頃。

 

家族全員で夕食を取る際に、居間のテレビではニュースが流れていて日経平均だTOPIXだと子供の自分にはちんぷんかんぷんだった。

 

父親にこれらのニュースはどういうことなのか聞いたことがあったけれど、大人になれば分かる。との答えだった。

 

今、自分も当時の親の年齢になってきて思うのは、多分当時の父親もよくは分かっていなかったんじゃないだろうか・・・?と(笑)。

 

とまぁ、経済用語の件(くだり)はアレだとしても、子供の頃に『大人になれば分かるようになるだろう。出来るようになるだろう。』と思っていた事柄が多くあったのは事実です。

 

そんな中の一つが、文章です。

 

因みに、もちろんだけど、仕事で書くいわゆる『ビジネスメール』の類の話ではないです。

 

まぁ、そのビジネスメールでさえ、尊敬語、謙譲語、丁寧語が入り乱れ、二重敬語が飛び交い、へり下り過ぎて何を言いたいのかさっぱり分からず、最後の最後は家来が殿様に嘆願するが如く『何卒、何卒〜』って。

 

こんなメールを見る度に、何かの悪い冗談なのかな?と思っちゃいます。

 

個人的には、社会人になったら望まずともこんなエセ・ビジネスメールの海に投げ出されて周りから影響を受けてしまうので、社会人一年目は、伝えたいことの要点とその理由だけを箇条書きにして送るのでいいんじゃないかと思っています。

 

じゃないと社会人一年目で『小職としましては』なんてアンポンタンなことを書く人が大量に生産されていくことになります。

 

というのはさておき。

 

既述の三島由紀夫さんの石碑の説明に昭和41年に三輪山に登られたとあるので、当時三島さんは何歳だったのか調べたら、40歳。

 

同じ歳かぁ・・・・。


今アラフォーの方、こんな文章、書けます?

 

稀代の俊才と比べること自体がまず烏滸がましいが、自分がどこかしらの山に登った後にあんな感想文、書けないですよ・・・。

 

子供の頃、大人になれば自然に自分も『大人っぽい』文章が書けるようになるものだと思っていたけれど、道はまだまだ長そうです。

 

因みに、個人的な意見なので異論はもちろん認めますが、、、文才は天賦による部分が大きいと思うのだけど、文章力は個人の努力により向上できるものだと思っています。

 

かといってこんな雑記ブログをいくら書いたところで文章力は向上するわけもないので、どうやったら文章がうまく書けるようになるものか・・・

 

今後の人生の、一つの課題のようなものであります。