先日、歩いて帰宅していたら路上にて『なかよし』を発見。
おいおいおい・・・ゴミをこんなところに捨てるなよ・・・。
そもそもゴミというより食べ物だろ。
鑑識の結果、捨てられてからまだ数時間のフライドポテト、食べようと思えば食べれそうだけれども、如何せん人通りが多い東京。
ただでさえ行き交う人々に『なんでこいつ写真撮ってんだ?』と思われるているだろうに、それを拾って食べだしても『あぁ、この人はなんて食べ物を大事にする立派な人だろう』と思われるような優しい社会にはなりきれていない飽食の日本。
しょうがないんで、近くのコンビニまで持って歩いて捨てる。
そして、どうせ一人で歩いてても暇なのでさっきの『なかよし』について歩きながら考察してみることにした。
まずはあの捨てられたフライドポテトは、誰が食べていたんだろうか?
一人で二つのフライドポテトを買って食べてたとは思えないので、二人組であっただろうことは簡単に推測できる。
しかも、男同士または女同士の同性の二人組がフライドポテトという同じ食べ物を一緒に並んで歩きながら食べることほどエモいことはないので、恐らくこの二人はカップルであったのだろうと思われる。
右のフライドポテトだけには爪楊枝を使って食べていた形跡が残っているので、恐らく左のフライドポテトをベアハンド(素手)で食べていた容疑者が彼氏、右のフライドポテトを食べていた容疑者は彼女だろう。
i.e. もし僕がどうしてもこの捨てられたフライドポテトのどちらかを食べけれなならない状況に陥ってしまったら、迷うことなく右のフライドポテトを食べる。
時計の針を少し進める。
二人の容疑者のどちらかがまず『もう食べれない』と言い出したと思われる。
ここまではありきたりの会話でよくある話だ。
恐らく胃袋の大きさからして彼女の方が『もう食べれない』と言い出し、そして彼氏は本当ならばまだ食べれるのにも関わらず彼女との『共感』をシェアするために『実は俺も・・・』となったのではないかと睨んでいる。
二人の人間がいて、二人とも偶然、そして同時にフライドポテトが食べれないなんて状況はあり得ない。
カップル間における親密度は、二人の間における気持ちの共有に比例すると言われている。
そして、犯行へ。
正直、どちらが『ここに捨てちゃおう!』と言い出したかは重要ではない。
重要なのは、二つのフライドポテトが同時に捨てられた事という事実のみにフォーカスするべきだと思う。
彼氏または彼女のどちらかがまず先に路上にフライドポテトを置き、その横に添えるようにもう片方の容疑者も習って置いた。
この時点では、二人は同罪だ。
想像してみて欲しい。
あなたの彼氏、彼女、または旦那や妻である人が、食べ物を路上に捨てようと試みた際、恐らくあなたは良心の呵責からその行為を止めると思う。
それと同時に『私が選んだパートナーはこんなにも倫理観のない人間だったのか?』と嘆くと思う。
それなのに、この246という東京を代表する幹線道路に二つ並んでフライドポテトが捨てられていたということは、要するにこのカップルは二人してどっちもどっち、馬鹿ップルだった。ということの証左ではないだろうか。
そして、その捨てられたフライドポテトを拾って捨てる私は、独り身であるという現実。
Q.E.D.