家につき、最近の日課となりつつあるバッグの中の物を一回ピアノのイスの上にだす。
普段、バッグは一切もたないが、中国語のクラスに通い出して教科書二冊とノート一冊が僕のバッグには入るようになった。
そのままバッグに入れたまま、朝また出掛ける時に掴んでもいいのだが、予習・復習をしなければならないよう自分の良心の呵責に訴えるようとりあえずは目に付くところに一度教科書を取り出すようにしている。
バッグの中から教科書を取り出す際に、その黒い長方形のものをみて、うんざりした。
また、ポストに入れ忘れた。
延滞しないようにとポストで返却にしているにもかかわらず、また今日もポストに入れ忘れた。
返却期限を過ぎてから、4本の映画を一つづつ見出した。
ただ、流石に延滞料金が嵩張るのも嫌なので3本みた時点で、今日こそは…と返却するつもりだった。
家につき、最近の日課となりつつあるバッグの中の物を一回ピアノのイスの上にだす。
その時点で12時を少し過ぎていた。
タイトルも忘れていたが、最後に見るくらいなので、自分的にもあまり乗り気で見たい映画ではなかったのだろう。
『息もできない』
ケースに130分と記載されているのが目につき少し萎えた。
今から見出したら3時を回ってしまう。
ただ、130分という時間とともにハングル文字が見えた。
『息もできない』
アメリカの恋愛映画だと思っていた。
二週間前に借りる時点では分かってはいたのだろうが、なぜかタイトルからしてアメリカの恋愛映画だと思っていた。
韓国の映画だと知り、見てみようとプレイステーションに突っ込んだ。
本来の本来なら普通に見ていただろうが、本来なら見ずに返していたであろう映画だ。
少しでも良くなかったら、プレイステーションからすぐ出してポストに走ろう…
そんなつもりで映画を見出したら。
3時を回った今、僕はポストに無事映画四本が入った黒い長方形のバッグを落としてきた。
見出して僕はすぐに考えだしていた。
考え出していた、というよりも感じだしていた。
始まってすぐ、確実に僕はこの映画に魅せらていた。
ただ、なんと形容していいか分からない、そんな映画だった。
あなたの人生を三つに分けなさい。
そんな事、誰にも言われたことないし、これからも言われることもないだろう。
ただ、もし僕が、もしかしたら明日の今の時間にさえ生きている保証はないのだが、もし僕が分けるならば、しかもこの映画について『らしく』分けるならば。
それは、母親が生きていた27歳までを『前期』にし、それから今日を含めたこれまでの期間プラスいつかくるのであろうか結婚するまでの独身の期間を『中期』とし、結婚し家族を持った日からを『後期』とするだろう。
『おおかみこどもの雨と雪』という映画がある。
僕も好きな映画だ。
この映画、女性で子供がいる友人は、みな一様に『いい映画』だと口を揃える。
僕もいい映画だと思うが、彼女達は僕とまた違った感情を持ってして、この映画を見ることが出来るんだろう。
映画に限らず音楽も本も、その時の年齢や環境などで感じられ方が違うというのは普通にありえることだ。
『息もできない』
2013年の暮れにして、2013年で一番印象深い映画だった。
どころか、これは僕の人生での『中期』における一番印象深い映画の一つになるだろう。
『息もできない』というのは邦題で原題は『トンバリ』、すなわち韓国語で『クソ蝿』というなんとも強烈なタイトルだ。
この『クソ蝿』も上手くこの映画を表しているけれども、それよりもなによりもこの邦題『息もできない』は秀逸の一言に尽きる。
僕はこの映画をみて、息もできないほど心臓を鷲掴みにされた気分だった。
物語は小さい頃に家庭内暴力で父親に母親と妹を殺されたヤクザの取立て屋を主人公としてすすんでいく。
途中、ワンシーンではないが流れの中での会話をつなげると次のような会話がなされる。
主人公との話し相手は、主人公と取立て屋を始めた幼馴染で、彼は両親を知らずに孤児院で育っていた。
おやじさんは元気してるか?
刑務所からもう出てきただろ?
あんなやつが父親だったら、父親なんかいらなかった…
そんなこと言うなよ…
孤児院で育った俺には、そんな親でも欲しかったよ…
それにおまえのおやじさんは、刑務所で15年、罪を償ったんだから。
刑務所に15年いたら、人を殺した罪は償えたといえるとでもいうのか…?
正確なセリフは今となっては分からないが、このようなやりとりが二人の間ではなされる。
僕はこの一連の会話のやりとりが、強烈に心に残った。
僕も同じようなコトを思っていたからだ。
数年前、神泉の立ち飲み屋にて。
僕は友人と二人でいた。
隣に合コンの二次会か三次会と思われる男女数名のグループが入ってきて、隣で話出していた。
話は次第と家族の話になり、一人の女性が両親と仲が悪く家出のような状態だという話題がでると、とある男性を中心に、お酒が入っていたのもあるだろうが執拗に『それはよくない、お前が悪い。親はどんなことがあっても親だから、自分から歩みよって仲良くするべきだし尊敬するべきだ。うちは小さい頃からずーっと親と仲がいい。』と彼女を責め続けていた。
僕自身、その当時父親と上手くいっておらず、親子の会話で、これまでどんなにケンカをしてもお互いが最後の防波堤のようにあえて口にしてこなかった『親子の縁を切る』という言葉がでるまでになっていた。
よく小説などで『その瞬間、音をたてて崩れさった』という表現があるが、ある日、歩きながら電話で話していて、その言葉を父親の口から聞いた瞬間、まさにそのような感じで、僕は5秒ほど無言になり何も言わず携帯の電源自体を切った。
正直、僕は執拗に女性を責める男性の話を聞きながら呆れていた。
『この男の人は他人の家庭環境もよく知らないのに、しゃーしゃーと説教よくするなあ…この人は、目の前で母親を父親に刺し殺された人にも、今と同じように『べき論』を言えるのかなぁ…』
と。
映画は全体を通して暴力で満ち溢れている。
しかも、その暴力は単に人が人をを殴る・蹴るという肉体的な痛みの表現だけではなく、親が子を、子が親を殴るという心が痛む暴力の表現だ。
使われている言葉もお世辞にも綺麗な言葉とは思えない。
韓国語が全く分からない僕が『シバラマ』とは『クソ野郎・バカ野郎』を意味するんだな、と嫌でも分かるくらい、全編を通して『シバラマ』で溢れている。
ヤン・イクチュンという俳優さんが主演だが、なんと監督・脚本・主演・制作・編集、全てヤン・イクチュンさんで、初監督作品だ。
韓国は世界の中でも有数の家庭内暴力、男尊女卑の習慣がある国らしい。
それは儒教の三従の道という教えの影響だと一般的には言われている。
因みに僕がまだまだ小学生になるかならないかくらいに祖母が話していた
『女性は幼い頃には父親に従い、結婚してからは夫に従い、夫がなくなってからは息子に従う』
というのは、まさしくこの『三従の道』だったのかと20数年振りに知った。
子供ながらに『なに言ってるんだろう?変なの…』と思っていたのを覚えている。
『息もできない』
凄まじい映画だった。