人に助けを求める。
それが出来た方が良いと思うし、
大人に必要なスキルだと思う。
でも、
小さな頃から「自分の事は自分で」と刷り込まれて来ているから、
“助けを求める=自立していない”という
誤った公式が身についてしまっているように思う。
全体的に何においても捉え方が歪んでいるような…そんな気がする。
誰かに助けを求めるにしても、
自分の身の程をわきまえていないと出来ないと思う。
自分の力量がどの程度で、
どこまでならどう出来るのか。
自分の器を知っていないと判断もつかないだろうし。
要は自己理解が出来ているのか…が肝かなと。
それを出来ずに、
自分で全部…と考えると、
ヘルプシーキングが出来れば質の高い状態で完遂出来ていた事も出来なかったり、形に出来たとしても質の低いもの止まりだったり…になってしまうのではと思う。
そう言う私もヘルプシーキングなど出来なかったから、誰かに頼れば
よりはやく出来たであろう事もたくさんあったと思う。
私は親にむげに扱われ、
人に頼れなくなったというタイプではなく、自ら頼れないな…と判断して自分で何とかせねば…と勝手に気を張り生きてきた。
だけど、自分だけで云々…よりも、
上手く協力を頼んだ方がむしろ質が上がり、時間も短縮されると気付いたし、何でも1人で云々が自立ではないと確信した。
むしろ、
自己理解をし己の身の丈や力量を把握し、自分では最高値に到達出来ない部分をそれが出来る人にお願いする…
そういう采配が出来る事もまた自分の力であるのだな…とわかった。
これを、何でも自分で…となると、
時間も質も下がってしまったり、
完遂出来なかったり…。
この思考が若い頃に持てていたら…と中年の今では思うけど、
若い頃は突っぱねてしまっていたかもな…。
若い頃って、
現代風に言うとどうもイキっているような所があるんだよな…。
若い時分は自覚はないけど、振り返るとそう感じる。
今はまだわからないかな…と思いつつ、
子供達には伝えている。
《出来ない事は協力をして貰えばいいのだぞ、何でも1人でする事が自立じゃなく、どうしたらそれを完遂出来るかを考え采配してゴールする事が出来る…それも大人に必要な力だぞ。》と。
トンチンカンな、精神が壊れた現代で、何が正しくて何が正しくないかなんて誰にもわからない。
自分軸が強すぎる頭のオカシイのは何かと常識ぶりたがるけど、そんなおかしな感覚で振りかざす物が正しいわけがない。
そういう人間は、力量もわきまえずに
「何でも相談して」とか平気で言ったりする。自分は何かとすぐ騒ぐくせに、問題解決能力もないのに…だ。
そもそも、相談をしたくなるような人間には自然と頼りたいと思うだろうよ…。相談する相手ぐらい自分で選ぶし。
頼られないという事は、そういう事だ。
ヘルプシーキング、大事だと思う。
むしろ賢いと思う。