私は戦争を知らない。

原爆の事も全て調べてわかっている訳ではない。

直接聞いた事もない。

目にしないとならん…と思っていた原爆ドームに行くにも難しい身体になってしまった。


当時の人々がどれだけの思いをしたのだろう…と毎年考える。

毎年毎年胸が苦しくなる。


私は原爆の日などを毎年カレンダーに記している。

忘れてはならない事だと思うから。

式典を観たり、黙祷をしたりする。


その時代に産まれたから…と片付けて良いものでもないと思う。 

かといって何が出来る訳でもないのだけど…。


当時を語れる方々も高齢化が進み、

生の声を伝えるにも限りがある。


伝える事をビジネスとして引き継ぐ人も出てきたようだけど、

私は伝え方を変えないと伝わらないと思えて仕方ない。

言葉だけでは間違いなく、きっと本当に上辺しか伝わらない。


想像力は人によりマチマチだろうし、

乏しい人の方が多いと思う。

それに人はどうあっても人であって、抱えている黒いものがあると思う。


産まれ持っているのだろうな…と思うけど、誰しもにある黒いもの。

それは上下をつけたがったり、妬んだり貶めようとしたり…そういう感じのもの。

どうしても人間にはあるのかなと感じる。


それがどれだけ表面化するかは個々により違うようだし、殆ど出ないで抑えつけられる人も居るのではと思う。

それは、家庭環境や個々の経験等にもよるのかもしれない。


だから、

個々の持って産まれたもの+環境や体験によって、その黒いものの量や質が違うのかもしれない。


こう思うのは、私自身が障害者になり

そういった部分をどうしても体感するから。

人の黒い部分は人である以上多分なくならないのだ…と。


例えばそれは、私が杖をついているだけでジロジロ見たり、そういう表面的な事だけで弱者だと決めつけたり、

身体の障害があったら頭も弱いと決めつけて馬鹿にするような部分であったり…そういうのが黒い物の軽い上側の部分なのかもしれない。


私は血の繋がりのある身内からそんなような扱いを受けたから、

真っ黒でドロドロなものを感じた。

あぁ、人間てこういう所が無くならないのだね…と。


だからいつまでもいじめはなくならないのかも。戦争も。

それはきっと人間だからではないかなと思う。


でも防ごうとする事は必要で、

それがあるから現状なのだろうけど、

やっぱりなくなる事はないから黒い部分は消え去らないのだなと思う。


消え去るとしたら、それは人間が全滅した時なのかなと思う。


黒い部分が発端となって戦いに繋がって、人と人が殺し合う。

人が死ぬのって、寿命や病気や事故と人に殺されるのとどっちがどうなのだろう…なんて考える。

事故も人が関わっている事か…………。



「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を観た。


若い世代の男子が召集される…。

敵を倒す為に訓練をする…。

体当たりで敵を沈める作戦に出向かせる…。

そんな事が本当にあったという事だけで恐ろしい。

特攻が決まったらおめでとう?

わからない…………。


国の為にという言葉がよく出てくるけど、各々が身近な人を守りたいという気持ちでしかなかったのではと思う。


死にたくなかっただろうし、

でも身近な人を守らなければならない…だから国の為だと言い聞かせて

恐怖心を無理矢理封じ込めようとしていたのではないかと思う。


想像するだけでも恐ろしいのに、

本当に突っ込んで命を落とす事を強いられた若者がたくさん居たという事…。

どんな世界…。


女子は着飾る事も出来ず、“可愛い”にも触れられない…勉強だってまともに出来なかっただろうし、女というだけで現代とは違った状況だっただろう。


食べる事もままならず、さつまいもばかりの生活…現代人に出来るかな…。

発達デコボコには無理だわ……………。


コロナが流行りだした頃に、

自分達世代が経験しなかったような

コロナによる制限での経験の機会の喪失を気の毒だと思う親が居たようだけど、


私は戦時中と比にならんだろう…?と思っていた。

確かに制限はあったし、何もなければ経験出来た事もあっただろうけど、


空から銃撃されたり爆撃で死ぬ事もなかったし、さつまいもばかりの生活でもなかった。


人間、当事者にならないと身にしみないから日常が常態化すれば何でも当たり前に感じてしまうものだとは思うけど、

現代はその度が高すぎるように思う。


私もこうならなかったら気付けなかった事はたくさんあると思う。

恵まれすぎていたのだろう。


よっぽどの事にならないとわからない人間が、伝え聞いた事で自分を省みて戒める事が出来るのか…。


私は難しいと思う。

出来るにしても、想像力がなければまず無理だろう。


それなら、言葉だけではなく少しでも体感出来る方法にしていった方が効果的だと思う。


それこそVR。

娯楽に向けて進化させるばかりではなく、想像力の乏しい人間の経験の体感を目指して欲しい。


色々な方面で活用すれば、国力アップに繋がるのでは…と思うけど。


空から銃撃される体感とか、

原爆後の体感とか、

それをハタから見る体感としては、

1番身近な人を被害者として可視化して。


それがどれだけの思いなのか。

知らない人間だから良い…ではなくて。


免許取得時も、身近な人が事故にあうのを可視化させるVRを体感する…とか。

高齢に差し掛かったら子供や孫を対象にするとか。


現代を色々見ていると、もう言葉だけでは伝わらないな…というのが私の体感。

そして、あらゆる事を当たり前だと思いすぎ。


だからちょっとの事ですぐピーピー騒ぐ…。

そんなのこちとら日常だが?というようなレベルの事で。

贅沢ですな…。と思う。


うーん、なんだか…

なんだかなぁ…という世だ…。



こういう素の美しさこそ美しいのでは。