最初の結婚の時に義弟が出来た。

義弟は病を患っていて、婚姻期間の殆どは入院していたと思う。


それでも、一時退院の時に義実家で会えた時には手作りシュークリームと紅茶を出してくれた。

「はい、お義姉さん。」と。

殆ど関わりが持てなかったけど、

この時の事は物凄くぼんやりだけど覚えていて忘れられない。


義弟とはほぼ関わらないままに別居に至り、

その最中に義弟の容態が急変したと離婚協議中だった初代元夫から連絡が来た。


“まだ婚姻期間中だから形式的に連絡はしたけど、来なくてもいいから”と言われた。


初代元夫、私には来て欲しくなかったのだろうなと思う。

でも、私としては駆けつけない訳にもいかなかった。

だって気持ちが…。


特別養護老人ホームで働いていた時の事で、職場から病院に向かったけど、

その時のことはほぼ覚えていない。

どうやって義弟の所にたどり着いたのかとか、覚えていない。


でも、間に合った。

初代元夫は、来てしまったか…と思っただろうな…と今は思う。

悪かったね…。


もう、命の火がいつ消えるかという状況だった。

モニターの音が淡々と鳴っていたような。


いよいよ命の火が消えそうになり、

それでもモニターがフラットからはね上がるのを2回見た。

義弟が抵抗し、生きようとした力強さだったのだと思う。


でも身体は…………。

義弟の精神力をしっかり目にした感じがした。

きっと母親の為にも死んでなるものか!と頑張ったのだと思う。


その時に元義母が義弟にかけた言葉は、


「◯◯くん!

もう頑張らなくていいよ!」


という言葉だった。


私が同じ立場だったら同じ言葉をかけられたのかな…とか、

私の母親だったら、

「お姉ちゃん死なないで!」だろうな…と考えた。


元義母は柔らかい空気感で天然で、

かわいらしい感じの方だった。


だから、その言葉を聞いた時に

『この人ふんわりして優しいだけじゃなくて強いんだな…スゴイな…。』と思った。


最期まで気高かった義弟が無言のまま義実家に戻り、私も何日か泊まった。

確か葬儀が済んだ後、義母に頼まれて数日プラスして泊まった気が…。


最後までどう過ごしたのかも覚えていないけど、初日は横たわる義弟の横に居た。


義弟も大して関わらなかった義姉が横に居てバツが悪かったかな…。

何だかどこに居てよいのやらわからず、側に居させてね…と居させて貰った感じだった。


義弟の側に居ると、水がコココココ…と移動?するような不思議な音が頭のあたりからした。


葬儀の時の事、そのあたりの事もほぼ記憶がない。

離婚協議中の葬儀で、

私が浮気でもしての離婚話で私が原因だと勝手に思われていて、初代元夫の友人達からは冷ややかな目を向けられ冷ややかな態度をされたのはキツかった。違うっちゅーの。



崇高な人って天に好まれ連れていかれてしまうのかしら…。と思った。

多分、兄よりもずーっと精神年齢が高く素晴らしい人だったと思う義弟。


私はどうしてそういう人と近づけないのだろう…なんか勘違いナルシストみたいなメンタル弱々しかよって来ないで…。

男の見る目のなさは子供達のお墨付き…。


始めに間違えた道に進んだら、あとは転げ落ちたのよね。

始めが1番良かったのに、何故間違えたのだろうねぇ。

間違えた判断の結果はやっぱりどうあっても間違えだったのね。


転げ落ちでもしなかったら、私は母親になる事はなかったっぽいし、

人間いつどうなるかわからないものだなぁと思う。


義弟みたいな人に会えたらいいのにな。今なら色々目が覚めたし、妙な相手はわかりそうだけどな…。


忘れてないよ、◯◯くん。


初代元義両親が元気でおられますように。優しかったお二人。


初代元夫は女の子の父親になったとか何とか…風の便りで聞いたけど。


話したいなー、◯◯くんと。

フワフワ過ごせているといいな。