かなり歳上の、お空に居る友人。

この世に居たら90歳目前だったみたいだ。わぁお。


彼女との出会いは特別養護老人ホーム。ショートステイを利用していた。


私は新卒採用で、トゲトゲした若さだったと思うけど、ちょっとした気遣いを彼女が見ていてくれて、可愛がってくれるようになって仲良くなった。


私が退職してからも付き合いは続き、彼女が生を全うするまでとことん可愛がって大切にしてくれた。


娘が生まれた事で、私から娘へと愛情の重さはうつり、彼女の中でどれくらいの比率だったかはわからないけど、

それでも私は大切に想ってくれている事を感じていた。


彼女は寝た状態で思うように動けなかったから、悔しい事やもどかしい事、たくさんのモヤモヤを抱えていたと思う。


それでも、暗く後ろ向きではなく前向きだったように思う。

人の好き嫌いはハッキリしていたから

職員の間ではちょっと難しい人扱いされていたけど、

それなりに上手に職員達と接していたように思う。


最後、亡くなる少し前に会いに行くと約束していたのにそれは叶わず、

何とも言えない気持ちのままで過ごしている私。


もう会う事が出来なくなって、

これまで何度も『夢に出てきなさいよぉームキー』と頭の中で訴えかけてきたけど、1度も出てこない。


彼女が穏やかで居るのならそれが1番なのだけど、夢でいいから話したい気持ちはある。

多分怒られるけど。

たくさんたくさん怒られそう。

でも、それでもいいのに。


もう10年以上経ったらしい。

私はすっかり変わってしまったけど、今だから話したい事もある。


血の繋がりもない彼女が、私を大切にしてくれた事を忘れない。

血ではなく心の繋がりこそ大事なのだと教えてくれたのかもしれない。

本当に、実の母親よりも私の事を考えてくれていた人だった。

そんな人に出会えた私は幸運なのかもしれない。


そんな彼女との写真の前に彼女の好物だった茄子の味噌炒めを供えた。

私の娘をとろけるような顔で見て

にやついている彼女。

娘は大学生になったんだよ。
って、見てるか看板持ち


10年以上前だけど、骨は拾っておいたわよ。本当の意味で。


彼女のお義姉さんに感謝。

私もお義姉さんと何度も接していたけど、私が彼女と仲良しな事をわかっていて他人の私に火葬場に来てあげてと声をかけてくれたのだから。


そっちでは自由に動き回っているのかな。だったらいいな。


1度ぐらい夢に出てきなさいよぉー💢