


との別れから2年半経った。
もう2年なのか、まだ2年なのか、わからない。
時々、何年だっけ…ってなる。
遠い遠い事のような、まだ信じたくないような。
でも、現実的には会えないよね…って自分に突っ込んだり、
尻尾をふりながら足元に来てくれる姿を想像してみたり。
しかしあなた、どんなに懇願しても夢に出てきてくれないなんて…
どぉーしてだよぉー
愛犬ちゃんのクッションを撫でながら、必死に懇願…。
お願いよぉ…
夢でいいから触れさせてよぉ…と。
って、
そっちの居心地が良いのなら、それにこした事はないけどね
愛犬ちゃんは、最期私に抱っこされ家族に囲まれながら、あーっという間にこの世から去っていった。
ありがとうって言えなかった…と後から
後悔した。
そこからの記憶が曖昧…。
体を冷やしたり、やる事はやったようだけど、動いていたのにリアルじゃなかった感じ。
これまでの歴代の動物家族達は、火葬の場に行ってしてもらっていた。
私が運転をして。
でも、それが出来なくなり私には選択肢がなく…。
母に頼めば動いてくれただろうけど、
私は母に愛犬ちゃんとの最期の場にいられたくなかった。
旅立つ瞬間も居合わせて欲しくなかったけど、駆けつけられてしまい私は凄く嫌だった。
母は動物は好きで大事にしてくれる人ではあるから私が入院している時には愛犬ちゃんのお世話をしてくれたけど、実の子供(私)には手のひら返しをする人間…。
だから私が嫌だった。
愛犬ちゃんはそうじゃなかったのかもしれない…
だとしたらゴメンヨ………。
そうなると、タクシーで火葬場へ…となってしまい、これも避けたかった。
公共交通機関は選択肢にすらあがらなかった。
そこで調べて訪問火葬をお願いする事にした。
ジャパン動物メモリアル社…だったと思う。
領収書とか、どこにやったか…
何度も利用したいものでもなくて、
忘れて社名があっているかわからないけど、そんな名前のところだったと思う。
その連絡をした時の事も曖昧。
なんか、本当にぼんやりで細かい事がわからない。
でも、当日(旅立った翌日)担当さんと会って自分の家の敷地がなければパーキングで停車…となって(マンションの敷地内も🆖)、近くのパーキングを担当さんに探して貰って止めて貰って連絡を貰って、
そこに行く…という事になったのだった。
杖歩行の私はドキドキだった。
遠かったらどうしよう…と。
この身体が恨めしかった。
でも、幸い歩いて10分もかからないパーキングを見つけてくれたから、
愛犬ちゃんをスリングタイプのキャリーに寝かせて、最期まで私が
と、
自らスリングを下げて、愛犬ちゃんを抱え、えっちらおっちら
パーキングまで最期の一緒の散歩…。
子供達と一緒に歩いて行った。
火葬炉装備のハイエースみたいな車には社名はなく、パッと見全くそれとわからない車だった。
車道に面したパーキングだったから、
やや人通りも気になったけど、
終わるまでそこまで人も通らずホッとしたっけ。
愛犬ちゃんを火葬炉に寝かせて貰って、セレモニー。
口元に末期の水や身体ふきをしたり、
可愛い足に数珠📿をはめてくれたり、
おやつを置いてくれたり…。
言葉をかけられる時は、「お子さまの身体を…」など、“子供”という設定での呼び方だった。
私は愛犬ちゃんに自分をママと言っていたんだっけ…あー、うん。
言っていたような。言っていたか。
でも、愛犬ちゃんは私の子供というか、どういう感覚だったのかなと考えた時に、子供じゃなかったし、
何だろう…兄弟でもなければ同士でもないし…。
明確でこれだと思える名称が思い浮かばないけど、ただただ大切な家族であって、なんと言えばよいのやら、
うーん…やっぱりこれと言った良い表現が思い浮かばないなぁ。
大事すぎる家族。
だから、私はペットとか飼い主という表現がなんか嫌い。
そういう上からな感じではなくて、
一緒に居てくれた、時間を共有させてくれたという感覚だったかな…特に障害を負ってからは。
人間は私を妙な目で見る。
杖をついているだけで、私をそういう目で見る。
何せ国がまず言っちゃってるもんな、
“障害者”福祉法とか。
訳すと“邪魔者”福祉法って事じゃない?
これ、誰がつけたんだろうっていつも思う。障害者って。
まぁ、それはさておき。
動物ってそんな事全然問題じゃなく、
相手の存在をただただ喜んでくれる。
私が帰宅するだけで尻尾をフリフリ喜んでくれて、私が起き上がるだけでも喜んでくれて、
私が顔面神経麻痺で歪んだ顔で笑ったって、スムーズに歩けなくったって、
そんなの全然関係なく、存在を喜んでくれる。ただ真っ直ぐに、純粋に。
そんな姿にどうしようもない愛情が湧いたのだった。
そして余計に人間が嫌になったのだった。
母親や次子に手のひら返しもされたし。
人が動物に惹かれるのは、その純粋で真っ直ぐな部分じゃないかな?と思う。
裏切られたり欺かれたりしないという安心さがあるから。
人間は人間である限り、動物ほど信頼出来ない。
どこかにそんな危うさを感じてしまうから。
セレモニーを終えて、いよいよ最期の別れを迎える事に。一旦家に戻った。
愛犬ちゃんはチワワで空に昇り
終わるまでは1時間ほどだったかな。
帰宅してから、メモリアルグッズにして貰いたい画像を担当さんに送信して、
カレーを作ったような。肉を入れずに。
それも、その事に結構後になって気づいたという。
やっぱりウワノソラだったのだなと思う。
そして迎えに行って、子供と一緒にお骨あげをした。いつもの姿を見れなくなった事を見せつけられた瞬間だった。
可愛い足先だったかな、
お骨を入れられるキーホルダーに入れて貰って、他にもストラップみたいなのと、愛犬ちゃんの身分証みたいなのも受け取った。
インターホンがなっても吠える愛犬ちゃんはもう見られなくなった。
毎日背負って輸液の為の通院をする事もなくなってしまった。
この身体で通院は大変ではあったけど、
かといって通院しなくて済むようになった事は喜べる事でもなかった。
その後の私はひたすら淡々と、
毎日生活する事を淡々としていたような気がする。
本当の別れの前は、
一体どうなるのか、当分寝込むのではないか…まともで居られるのか…と想像していたけど、
自分でも驚くぐらいに淡々と、
とにかく淡々とすごしていたような。
どういう気持ちだったのか…
どこかホッとした部分もあったのだろうな。
嫌いな病院に連れて行かなくて済むのだし、苦しむような事も心配も無くなったのだから。
それは何とも言えず複雑な感情ではあったけど、愛犬ちゃんが楽になれた事に安堵したのかもしれない。
なんて思う。
ペットショップで子供を産まされていた元繁殖犬だった愛犬ちゃん。
当時動物に人間がしている酷い諸々など何も知らずに生きていた自分が恥ずかしい。
一緒に過ごせて幸せだったよ、
ありがとう。
引き取れて良かった。
逢いたいよーー。
あ~バッチリ泣けるぜぇ
何年経っても泣けるぜぇ。
頼むから夢に出てきてよぉ~。
:
フンッ、何甘えてんのよ!
しっかりしなさいよ!
こっちに来るまでに猫お一人様を幸せにしたいんでしょ!
とか思われちゃってる?もしかして。
ハイ、ママ頑張ってみますわよ。
叶うかわからんけど気張ってみるよ!