先日、次年度の自治会の役員が順番で回ってくるという告知がきた。
私は常にめまいがあるから気持ちと身体は別で、その役員が務まるかわからない·何の役なら出来るのかがわからない等の旨を事前に役員希望の紙で伝えていた。
下手に出来ますと引き受けて、
途中で替わって…なんていう事になるより良いと思うから。
でも、それはスルーされ役員決めの日時の知らせが来た。
まずそこでイラっ💢
当日集まりに行くと、
先に希望を出していた人の名前が役員ごとに書かれていた。
上に小さく書かれていた人数の数字が、私にはよく見えなかった。
私は希望なしの欄に名前があり、
その欄の人が順番に名指しで希望を聞かれていった。
『決まるまでは帰れないよ』と言われた後に。
私は大勢の前で身体的な事を話さねばならず、動けなくても出来そうな役を希望したけど、それを伝えると一瞬ドヨッとして「もう人数が足りているだろう、何言ってんだ?」みたいな空気感で一杯になり、
私はつるし上げみたいな感覚を覚えた。
差別的な感じもうけたし、
屈辱的だった。
こっちは事前に状況を伝えていたのに。
会長が、
「身体的な事があっても引き受けざるを得なかった人も居るから了承して。」
というような事を最初に言ってくれてはいたけど、短時間同じ場所に居ただけでも、そんな風に配慮出来るような感じの人達だとは全然思えなかった。
結局私はデリケートな事を大勢の前で言う事になってしまったのは、
事前の対処がなかったから。
連絡先も書いて出していたのだから、
事前に対処する事も出来ただろうに、
そんな仕組みは全くなくて配慮が必要でも平等に役をやる、ひとまずやる。
それだけしか選択肢がなく必要な配慮もされないような一貫教育的な仕組みでしかないからだろう。
デリケートな事を大勢の前で…。
これ、現代的にダメなヤツだろうに。
別に私は障害を隠す気はない。
杖もついて歩いているし、
見るからに障害者だから。
だけど、必要以上に屈辱的な思いをこれ以上にしたくない気持ちはある。
でも、屈辱感満載な場でしかなかった。
結局、身体を動かす事の少なそうな役に1人多く入らせてはくれたけど、
月に2回集まる事になってしまったり、
同じ担当になった人は
「前にこっちをやったけど大変だからしたくない、だから違う方をしたい。」と
堂々と言う人で、
私は担当を任されても務められるとは言いきれないから“補佐的な感じで務めさせて貰いたい”…と言っているのに、
「あなたが行けなさそうな時は私が行くから…」みたいな、自分が補佐的な感覚でいるような事を言っていてコワイと思った。
あぁ、話が通じなさそう…という印象しか持てなかった。
人数の偏りがあり、
自主的にうつる人が居なくて人数が多いままならジャンケン決めとなって
大の大人がジャンケンで役を決める光景は、何とも言えないものがあった。
自分が1番可愛くて、
自分が1番大変で…、
楽に済ませたい…そういう気持ちが前面に出ている人が殆どだった。
仕事があれば大変だとわかるし、
楽に済ませたい気持ちもわかる。
ただ、障害があるとその大変さのレベルが全く違うのだ。
大変どころじゃない事の方が多いかもしれない。
だから、
各々が自分が1番大変みたいな空気感に
とても苛立った。
こっちはそんな非じゃないんだって…………
同じ担当の人は話が通じなさそうだから、私は主としてやるつもりでいようと思った。
多少の配慮はして貰えたし、気遣ってくれる人も居るから、それは救いになった。
障害があったとしても、状況を見て配慮をして貰えるとは考えない方が賢明なんだな…と強く感じた、
嫌~な集まりだった。
これが毎月かよ…ゲンナリ。
怠けたい訳じゃないのに。
身体、替わってくれたらなんぼでもやるさ。
ほんとイラつく。
ほんとムカつく。
あー、やだやだ。