婚姻期間中の話。
いわゆる“できちゃった結婚”だった。
じゃなきゃ入籍しなかったと思う、
失礼な話。私は再婚だった。
当時、
すぐ同居とはならない道を選んだから、
しばらく同居せず過ごせたけど、
娘の妊娠中、
デコボコっちの妊娠中、
同居するようになってから何度か…
数回離婚話をされた。
なぜか。
要するに かまちょ だから。
『自分に気をかけられないなら、
一緒に居ても意味がないから別れた方がいいと思う。』
これを、妊娠中にもお構いなくされた。
思い返せば、父が他界した時もそうだった。
悲しみにくれ、塞ぎ来んでいた私に言ったのが、⤴️と同じ事。
何故にその時に別れなかったのか。
わからない、当時の私が。
娘の妊娠中に
『別れた方がいいんじゃない?』
デコボコっちの妊娠中にも
『別れた方がいいんじゃない?』
同居してからも
『別れた方がいいんじゃない?』を何度か。
『どうしたいか考えておいて』なんて事も。
そして、子供の事を考え何とか思い留まろうと思っていた私の気持ちは徐々に萎えていき…………いつの日かその糸がプツンと切れた。
それで、もういい加減無理と思って別居する事に。
それも、話して決めたはず。
勝手になんて、私はしない。
そしていざ別居となると、その日近くに珍しく体調を崩しやがり、延期を求められたりした。
別居から2年、判を教えて貰えず医療費は まんまかかった。
生活費の事が私は頭になかったらしく、
受け取る算段もなく別居に突入した。
幸い、実家で暮らす事を承諾して貰えたし、専門時代の友人から看護助手として手伝って貰えないかと声をかけられた事もあって、
そこまでキュウキュウな生活を強いられる訳でもなく過ごせた。
養育費の事もあって、公正証書を作るつもりだったけど、一緒に行かなければならなくて、それが凄く…とてつもなく嫌で何とか回避した。
2度と視界に入れたくなかったから。
結局、何がどうだったのか知らないけど離婚に至れた。
何の2年だったのか私にはわからなかったけど、後々それが【粘りの2年】だったとわかり、は????となった。
何故わかったのかと言うと、
祖父が
『パパは可哀想だから優しくしてあげて』と孫(私の娘)に言いたいが為に、
何と離婚経緯を話したのだと言う。
まずここがおかしい。
祖父が孫に親の離婚経緯を話すとか。
あれあれ?高学歴でしたよね?
そう習ったんですか?
しかも、その経緯はかなり都合の良いように盛られていた。
私も笑った、かなりの作話。
私が勝手に出ていって別居したらしい。
判を押さなかった2年は粘っていたらしい。
私が全部悪いらしい。
ぷぷぷ。盛れてる。かなり盛れてる。
すごい。知らなかった
そうなんだ~
別居してから粘ってどうするんだよ。
おせーよ。
散々別れようと別れ推ししてきたくせに。
祖父さん、子供の為にと粘ろうとしていたのは私なんだがね。
あんたの愚息は自己中でしかなかったよ。
黙ってでていくとかないから。
本当に、私の何にもわかっちゃいないんだな…と、あきれ果てて更に嫌気がさしたっけ。
そして、
随分とおかしな価値観で愚息を盲目的に見ている事がわかって、
あかん、もうかかわるのをやめよう…と、
気持ちが失速した。
必要最低限、孫の親としての関わりはどうしてもあるから、それは仕方ないと割りきらねばならない。
でも、人として付き合いたくないから、
それ以上には関わらないと決めた。
関わりたくない人間と関わる程暇じゃないし、その時間がもったいないから。
本当に、おかしな人間っておかしいんだな…そう感じる人間が多い。
親にしてもきょうだいにしても。
私もおかしい部分があるから仕方ないか。
ほんと、今世限りで終わりますように。