脳腫瘍…まさか自分がなるなんて。

何年も経ったけど、いまだにそう思う。

昔なら、きっと死んでいた病気だろうな。


よくよく考えたら、

頭を切って、頭蓋骨を切って一時的に外して、脳ミソいじって、

それを元に戻して生きているんだもん。

なんかすっげー拍手と思う。


頭に傷のある女…フッキメてる…?

なんのフッ?


頭というか、うなじのあたりに少し縫い痕が見える程度だけど。

頭皮の部分の縫い痕はわからない…髪も生えにくくて薄いとか、ないみたいだし。

え?実は薄い事に気づいていないだけかも?

まぁ別にいいけど。


術後間もない頃は、うなじのあたりに見える傷痕を晒すのが嫌で、髪の毛をアップにしたくない気持ちがあった。


でも、他人はそこまで気にしないし、

そこまで気づける人が居るかも疑問…という事で、今は気にせずおだんごにしたりする。


手術前の説明は、とてもじゃないけど

満足とは言えず、考え得る後遺症の事など、全てを伝えられた訳ではなかった。


私も根掘り葉掘り聞かなかったし、

聞けなかったというか?

何だかどこか他人事のような、

どこかリアルじゃなかったような?

今みたいな身体になるとは夢にも思わず…まさかこんな事になるなんて。

本当に、全く全然砂粒程も思っていなかった。

以前のように、難なく動けるのだと微塵も疑っていなかったのだから、

めでたい思考だったわねぇ…と思う。

アホか。


例えリスクを伝えられていたとしても、私は母親だし、ただ黙って死ぬ選択はしなかっただろうし、手術しただろうけど、

こんな風になるかもしれないと少しでも耳にしていれば、精神的な回復はもう少し早かったと思われる。多分。


“早くて10日程で退院出来るでしょう、

社会復帰も出来ます”


なんて説明を受けたら、

こんな身体になるなんて思わないと思う。


思いっきり感じた、

医師との認識の違い。


難しい病気だから、医師達もどうなるかわかっちゃいなかったのかも。

入院中、変な対応もされたしなぁ。

だったら尚更、10日で退院出来ますとか社会復帰出来ますとか、下手な事を言わずに“わかりません”で良かったのに。

その方が、私も割りきれたかもしれない、もっと早く。


だから、病院の対応は良くなかったと思う。

私も当時、何がどうだったのか、自分の精神状態の何がどうだったのか、

自分でも掴めない。今も説明が出来ない。


気持ち悪い程にメソメソ泣いて、

いつもの【ナニクソこの野郎精神】が

完全消失していた。


まぁ無理もない、

術後はしばらく嘔吐しまくりで、

体のコントロールは全く効かないし、

何だか介助される体になってしまって、

トイレもナースコールで呼んで車椅子移動し、男性看護士であろうが便座に座るまで見守られ、


入浴はシャワー浴で全裸を見られ(これはさすがに女性看護士のみだったが)、

リハビリに駆り出されれば、回りは高齢者ばかり。

高齢者に混じってリハビリ…………

仕方ないにしても、全てが屈辱的だった。


年を取るって、

会社で少しずつ嫌な事をされて、

それが積み重なって追い込まれていくような感じなのかなと思うけど、


障害を負うって、

会社でいきなり戦力外通告されて、

もう来なくていいよといきなり言われるようなものかな…と。


徐々に出来ない事が増えていく、

年を重ねるという事。

ある日を境に、突然出来なくなる、

障害を負うという事。


喪失感…なんていう言葉では軽すぎる気もする。

一気にかんじる、あらゆる感情。


喪失感、虚無感、挫折感、疎外感…あと何だろう。


病院では1人の人間として扱って貰えても、病院の外に出れば全く違う冷遇。


好奇の目?で見られ、

生活は制限され、

働きたくてもその場がなかったり、

難なく動けていた時には想像もしなかったような、どうにもならない事ばかり。


なにをどうしようが、どう考えようが努力しようが、どうにもならない·出来ない事の方が多い中生きていかなければならない。


必要な配慮ですら、“ズルい”と見るような低レベルな人間も居て、

何とも生きにくい。


難なく動けていた時の自分がどれだけ恵まれていたか。

努力もせず、何も考えずにできたていた事の多かった事よ。

それでも、あれが面倒だ疲れただ何だと、不平不満をもらしていたなんて。


今は、【そんな程度で面倒だ疲れただ……だと?】と感じる身体。

生きているだけでシンドイから。


何かのバチなのか。

真っ直ぐ生きてきたつもりだけど、

何がどうして私がこうなるのだろう?

何故、手のひら返しをするような家族や低レベル人間の代表みたいな元夫が

ノウノウと生きていやがるのか…と、

物凄く腹立たしくなる。


乗り越えられる試練しか与えられない…とか言うけど、

試練を与えられる人間、与えられない人間の違いは何なのか。


だったら、与えられない器の人間でいい、バカみたいでも。とすら思う。


結局、損する人間と得する人間が居るという事なのか、何なのか。

何だか悔しいけど、

まぁ仕方ない。


身体が終わりを迎えるまで、

頑張るしかない。


きっと、もう今世でオシマイなはず。

これだけの思いをしたのだから。


今世が終了すれば、

きっと愛犬ちゃんラブラブしっぽフリフリラブラブと一緒に居られるはず。

人間と動物って、別々の場所って聞いた事もあるけど、今より会えるはず…?


失わないと得られないものを私は得て、

価値観もだいぶ変わって、良かった事もあるけど、

やっぱりシンドイっちゃシンドイ。


でも、前の自分の、曇りガラスの視点の曇りは晴れたようだから、それは良かったのかも。

親の価値観って、コワイわぁ。

気づけて良かったと思う。


でも、今の価値観で過ごせてこれていたら全然ちがっていただろうと考えると、色々な事が勿体なかったのだろうなと悔しくもなってしまう。

少なくとも、こうはなっていなかっただろうに。


なーんて考えても仕方ないのだけど、

まぁ気づけて良かったのだと思う事にして、

出来なくなってしまった事が殆どだけど、いっちょ工夫してやっていくしかなーい。

もっと年をとったらどうなるのだか、

おっかねぇ…。

せめて筋力維持をしないと。


何はともあれ、やっぱり


チックショー予防だわ。