水戸採集 -5ページ目

人形の家

トイレなどに行くために、酸素マスクも心筋モニタも勢いよく外す瞬間、ノラになった気分。

老後の過ごし方

一人っ子だし、元来一人遊びが好きな僕は、習い事が苦手。父にそっくりで凝り性なのに飽きっぽくもある。異常な負けず嫌いなので、負ける可能性のある、飲む・打つ・買うにはもともと興味がない。そもそももう「飲む」ことはできないし、胴元だけが儲かる仕組みになっている「打つ」には近寄らないようにしている。色気も油気もすっかり抜けてしまい「買う」でもない。面倒だし。

最近の美術や学問の状況には失望しているし、山登り・ハイキング(汗臭そうじゃん)や釣り(生臭そうじゃん)を含めてスポーツも嫌いだし、しょっちゅう旅行するにしても一人旅はつまらないし、第一、潔癖症だから不潔な土地やホテルは嫌だし、テレビはくだらんし、素人農園(素人の作った野菜や果物なんて味も形も悪いし、旬の時期にしか作れないから希少価値もなし)や蕎麦打ち(蕎麦やチョコは食材として完成品だから素人がそれを崩して再構成する意味なし)なんて作ったら、もらってもはた迷惑だし、もはや伸び代がないから勉強や社交をする気にもなれない。

学芸員の「アガリ」であったはずの大学はこのざまで、今さら老人が教えることはない(学生の就職斡旋が得意な若い講師の職場に成り下がったな。専門学校か)。

孫の世話もしたくないしな…

マイナンバー

脈拍モニタのコードが少し外れただけですぐにとんできてくれるのはありがたく、とても安心なのですが、いっぽうでちょっとウザったいときもあるのです。それは監視カメラや「マイナンバー」に雁字搦めにされた監視社会を彷彿させるからでしょうか。

スピン・コントロール

"スピン報道"、"スピン・コントロール"って本当にあるんだ、と思えるほどテレビが恣意的・意図的にくだらないので、読書が進む。


しかし報道番組さえ、なぜ三面記事みたいな話題しか取り上げないのかね。

しかも下品にバカ騒ぎしながら。

今の日本の状況は、そんな場合ではないだろう!

そうとうヤバい感じだぞ。

断捨離

【教えて!】

「断捨離」という言葉が流行るようになった経緯を誰か教えてください。僕の記憶では、2010年秋くらいからではなかったでしょうか?
その頃から、家、土地、家財、物、(ことによると)家族や命に対する執着を諦めさせる密かな動きが始まっていたのかもしれない。


なぜこんな「反-消費社会的」な言葉が消費社会で許されたんだろう?

「群馬NOMOグループの全貌」 展

故郷でのシンポジウムということで、僕なりに張りきっていたのですが、
↓のようなことに……


「1960年代の前衛美術と群馬NOMOグループ」 



ご迷惑かけて誠に申し訳ございません。




ちなみに、明日から水戸芸術館では「田中功起 共にいることの可能性、その試み」が始まります。

東京物語

また「東京物語」を観てしまった。

とみの「子供と孫のどちらが可愛いい?」という問いに、周吉は「やっぱり子供の方が良い」と答えている。
そんなものなのかな。

このとき笠智衆、49歳位。シブい。

東京物語 ニューデジタルリマスター/作者不明
¥価格不明
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二冊目

毎日"しっぽ"に繋がれているので、この機に二冊目でも書こうかな。

遺書的に。


実はタイトルは前から決めてある。

しばづけ食べたい 

食べたい。



動詞連用形の名詞化

どうしてこんなに気持ち悪いのだろう?


使う場面、動機のせいだという説もある

精神主義的だからだという説もある。

確かに、目的語が付かないくせに、「目的的」だ。


いずれにせよ何かのギョーカイに流されている軽薄さはぬぐえない。


お子様の「学び」を応援します、とかいう塾には自分の子どもは入れたくない。