私は無事です~
停電&携帯圏外の状態でまったく状況がわからなくて、連絡もできない状態だったので、報告が今になりましたが、岩手の妹一家も含め、家族・親戚一同は無事です。
ご心配をおかけしました。
やっとテレビが見られるようになって状況がわかってきたんだけども、東京も大変だったらしいすね。
東京は電車が止まると大変だよなぁ。
皆さん、大丈夫でした?
私は一番大きい地震当時、八戸市街のビルの4階にいて、八戸は震度は5だったらしいですけど、もっと大きく感じました。
昔、地震車に乗った事があるけど、立ってられないレベルの6とか7とかそんな感じ。
こないだの宮城県沖地震?あの時は盛岡にいたけど、それより大きく感じました。
机の下に潜れと言われてから、またそれから余計に強く揺れて、とにかく長かったすね。
悲鳴もすごかったし、泣いてる人もいたし。
その後、ちょっと収まったから外に避難しろと言われて、貴重品だけ持って外に出ようとしたら、階段でまた揺れて。
そこらへんが一番怖かったです。
で、外に出たら、また地震。
一応、緊急避難場所まで行った所で、このまま解散っていう事になったんですけども、私はコートを持って出なかったので一度ビルに戻ったところ、ビルの1階は上の壁が割れて落ちてて、2階はヒビが入ってました。
コートを持って、あと置いて行く自分の荷物と、そのまま帰った人達の荷物をロッカーに…と思ったら、「ゆっくりしてたらまた揺れるから、早く出て!」と。
でもまた外に出たら出たですごい余震。
今でもそうですけど、頻繁に余震が来ます。
外は信号が消えてるし、お店はことごとく閉店してましたし、とにかく尋常じゃないなと。
地震には慣れてる地方ですから、建物は耐震性に優れてますけど、店のテレビが落ちてるのを見ると、家は大丈夫かなと心配になりましたね。
で、電車が走らないので、バスでなんとか八戸駅まで行ったんですけども、一緒の学校に通ってる人(今、資格の学校に通っています)が「家に来なよ」と言ってくれたので、そこのお宅でしばらくお菓子を出してもらったりして過ごしてました。
偶然ですけど、そこの家のお父さんが母の実家の近くの出身だったり、お母さんが伯母の同級生だったりとそういう縁のある方だったので、色々よくしてもらって有難かったです。
で、やっと父親とメールで連絡が取れて(電話はまったく使えなかった)迎えに来てもらえる事になったので、八戸駅前で待ち合わせをしたんですが、ものすごい渋滞で、なかなか父親に会えず。
やっと会えた父親によると、普段5分くらいで着く距離を1時間かかったとのこと。
ちょっと交差点的に複雑だから、信号が消えてると…
でもそれでも事故が起きる訳じゃないから、みんなやればできるんだなーと感心しました。
父親に会ってやっと帰れるかと思ったら、また問題発生。
土曜にガソリンを入れようと思ってたからガソリンがない、と。
それはしばらく走ってなんとか車が集まってるGSがあって、手動でくみあげて入れてくれてました。
こういうのも電力なんだなー。
で、その後は渋滞することもなく、なんとか帰宅。
ここまでは携帯も使えてたんですけども、帰宅と同時に携帯が圏外に。
auとSBはまったく使えませんでした。
Docomoは大丈夫だったけど、充電できなかったから、私のSB用の乾電池での充電機器が使えてよかった。
こういう時はやっぱりDocomoが強いです。
あと、乾電池で充電できる奴は絶対持っといた方がいいです。
家では母親が反射式ストーブを発掘してて、停電でもとりあえず暖房はクリア。
暖かいってだけで色々安心できます。
反射式ストーブも持っておいた方がいいです。地震が起きてからじゃ買えないし。
ちなみに母親は携帯を持ってないので、家に電話しても繋がらないし、不安でしたが、ケガもなく無事でした。
家は山の方だし大丈夫だろうなと思ってましたけど。
で、懐中電灯も電池がないとか、ラジオも電池がないとか色々ありましたが、ホント、備えは必要。
水とガスは使えたので母親が作ってくれた袋ラーメンを食べながら、ラジオを聞いててもイマイチ何が起きてるかわからない状態。
テレビが見れてた地方の人達に、なんだかやたら心配をかけてたみたいで逆に申し訳ないです。
でも、ちらっとバスの中とか友達の家でワンセグを見せてもらったけど、なんだかとんでもない事になってる感が。
今も福島の原発が大変だし。
9月まで福島にいたから、行ってた会社の人とか心配だな…
そして、夜が明けて両親は買い物に行ったけども、スーパーでは買えるものが限られてて牛乳も買えないし、小麦粉も買えないと。
GSもやってないし、コンビニもやってないし。
この状況を考えたら、停電の限界は2日かなーと思いました。
ガスじゃなくて、IH調理器とか使ってる人はもっときつかったと思いますけど。
私は明るいうちに部屋の片づけをしましたけども、ガラスのものとかが割れてショック。
今までどこにあったんだろうってものが見つかったりしましたけどもw
その後、もっと山の方の親戚付き合いをしてる一人暮らしで車がなくて買い物に行けない人の家に、物資を届けに行ってきました。
いつまで停電が続くかわからないから、食料がないと大変だし、反射式ストーブがなかったら寒いだろうし、と。
でもお隣さんが買い物に行ってものを届けてくれたりしてたみたいなので、大丈夫だったみたいです。
で、祖母の家にも行ってきましたが、地震の時は1人でいたみたいですが、足の悪い祖母も転ばずに済んだみたいでケガもなく安心しました。
妹とも夜に電話で話せて、一家全員無事との事でしたし、あとは仙台の遠い親戚ですかね。一応速達を送ったみたいなので返事待ちですけども。
と言う訳で、色々ありましたが、備えは大事だなと思ったこの地震。
こちらはまだ余震が続いてて、家がいつまで持つのかと不安ですけども、他の地方もどうなるかわからないので、備えはしといた方がいいですよ!
本当に沢山の方に心配していただきまして、ありがとうございました。
でも、まだ沢山の地域で停電、断水、ガスも使えないという状況だと思うので、そういう人達の助けになってあげて頂ければと思います。
私もテレビをやっと見れて、私たちは全然マシだったなぁと思いました。
ちなみに、地震が起きてからずっとラジオばっかりでしたが、1晩明けて1人になった時に「Will」を聞いたら、なんだかすごく安心して涙が出てきました。
なんやかや言っても、私も怖かったんだなぁとその時に思いましたけども、それと同時に私にとって、やっぱりPENICILLINはどんな時でも「そこに在って欲しい」ものなんだなぁと。
メンバー&スタッフの皆さんが無事でよかったです。
停電&携帯圏外の状態でまったく状況がわからなくて、連絡もできない状態だったので、報告が今になりましたが、岩手の妹一家も含め、家族・親戚一同は無事です。
ご心配をおかけしました。
やっとテレビが見られるようになって状況がわかってきたんだけども、東京も大変だったらしいすね。
東京は電車が止まると大変だよなぁ。
皆さん、大丈夫でした?
私は一番大きい地震当時、八戸市街のビルの4階にいて、八戸は震度は5だったらしいですけど、もっと大きく感じました。
昔、地震車に乗った事があるけど、立ってられないレベルの6とか7とかそんな感じ。
こないだの宮城県沖地震?あの時は盛岡にいたけど、それより大きく感じました。
机の下に潜れと言われてから、またそれから余計に強く揺れて、とにかく長かったすね。
悲鳴もすごかったし、泣いてる人もいたし。
その後、ちょっと収まったから外に避難しろと言われて、貴重品だけ持って外に出ようとしたら、階段でまた揺れて。
そこらへんが一番怖かったです。
で、外に出たら、また地震。
一応、緊急避難場所まで行った所で、このまま解散っていう事になったんですけども、私はコートを持って出なかったので一度ビルに戻ったところ、ビルの1階は上の壁が割れて落ちてて、2階はヒビが入ってました。
コートを持って、あと置いて行く自分の荷物と、そのまま帰った人達の荷物をロッカーに…と思ったら、「ゆっくりしてたらまた揺れるから、早く出て!」と。
でもまた外に出たら出たですごい余震。
今でもそうですけど、頻繁に余震が来ます。
外は信号が消えてるし、お店はことごとく閉店してましたし、とにかく尋常じゃないなと。
地震には慣れてる地方ですから、建物は耐震性に優れてますけど、店のテレビが落ちてるのを見ると、家は大丈夫かなと心配になりましたね。
で、電車が走らないので、バスでなんとか八戸駅まで行ったんですけども、一緒の学校に通ってる人(今、資格の学校に通っています)が「家に来なよ」と言ってくれたので、そこのお宅でしばらくお菓子を出してもらったりして過ごしてました。
偶然ですけど、そこの家のお父さんが母の実家の近くの出身だったり、お母さんが伯母の同級生だったりとそういう縁のある方だったので、色々よくしてもらって有難かったです。
で、やっと父親とメールで連絡が取れて(電話はまったく使えなかった)迎えに来てもらえる事になったので、八戸駅前で待ち合わせをしたんですが、ものすごい渋滞で、なかなか父親に会えず。
やっと会えた父親によると、普段5分くらいで着く距離を1時間かかったとのこと。
ちょっと交差点的に複雑だから、信号が消えてると…
でもそれでも事故が起きる訳じゃないから、みんなやればできるんだなーと感心しました。
父親に会ってやっと帰れるかと思ったら、また問題発生。
土曜にガソリンを入れようと思ってたからガソリンがない、と。
それはしばらく走ってなんとか車が集まってるGSがあって、手動でくみあげて入れてくれてました。
こういうのも電力なんだなー。
で、その後は渋滞することもなく、なんとか帰宅。
ここまでは携帯も使えてたんですけども、帰宅と同時に携帯が圏外に。
auとSBはまったく使えませんでした。
Docomoは大丈夫だったけど、充電できなかったから、私のSB用の乾電池での充電機器が使えてよかった。
こういう時はやっぱりDocomoが強いです。
あと、乾電池で充電できる奴は絶対持っといた方がいいです。
家では母親が反射式ストーブを発掘してて、停電でもとりあえず暖房はクリア。
暖かいってだけで色々安心できます。
反射式ストーブも持っておいた方がいいです。地震が起きてからじゃ買えないし。
ちなみに母親は携帯を持ってないので、家に電話しても繋がらないし、不安でしたが、ケガもなく無事でした。
家は山の方だし大丈夫だろうなと思ってましたけど。
で、懐中電灯も電池がないとか、ラジオも電池がないとか色々ありましたが、ホント、備えは必要。
水とガスは使えたので母親が作ってくれた袋ラーメンを食べながら、ラジオを聞いててもイマイチ何が起きてるかわからない状態。
テレビが見れてた地方の人達に、なんだかやたら心配をかけてたみたいで逆に申し訳ないです。
でも、ちらっとバスの中とか友達の家でワンセグを見せてもらったけど、なんだかとんでもない事になってる感が。
今も福島の原発が大変だし。
9月まで福島にいたから、行ってた会社の人とか心配だな…
そして、夜が明けて両親は買い物に行ったけども、スーパーでは買えるものが限られてて牛乳も買えないし、小麦粉も買えないと。
GSもやってないし、コンビニもやってないし。
この状況を考えたら、停電の限界は2日かなーと思いました。
ガスじゃなくて、IH調理器とか使ってる人はもっときつかったと思いますけど。
私は明るいうちに部屋の片づけをしましたけども、ガラスのものとかが割れてショック。
今までどこにあったんだろうってものが見つかったりしましたけどもw
その後、もっと山の方の親戚付き合いをしてる一人暮らしで車がなくて買い物に行けない人の家に、物資を届けに行ってきました。
いつまで停電が続くかわからないから、食料がないと大変だし、反射式ストーブがなかったら寒いだろうし、と。
でもお隣さんが買い物に行ってものを届けてくれたりしてたみたいなので、大丈夫だったみたいです。
で、祖母の家にも行ってきましたが、地震の時は1人でいたみたいですが、足の悪い祖母も転ばずに済んだみたいでケガもなく安心しました。
妹とも夜に電話で話せて、一家全員無事との事でしたし、あとは仙台の遠い親戚ですかね。一応速達を送ったみたいなので返事待ちですけども。
と言う訳で、色々ありましたが、備えは大事だなと思ったこの地震。
こちらはまだ余震が続いてて、家がいつまで持つのかと不安ですけども、他の地方もどうなるかわからないので、備えはしといた方がいいですよ!
本当に沢山の方に心配していただきまして、ありがとうございました。
でも、まだ沢山の地域で停電、断水、ガスも使えないという状況だと思うので、そういう人達の助けになってあげて頂ければと思います。
私もテレビをやっと見れて、私たちは全然マシだったなぁと思いました。
ちなみに、地震が起きてからずっとラジオばっかりでしたが、1晩明けて1人になった時に「Will」を聞いたら、なんだかすごく安心して涙が出てきました。
なんやかや言っても、私も怖かったんだなぁとその時に思いましたけども、それと同時に私にとって、やっぱりPENICILLINはどんな時でも「そこに在って欲しい」ものなんだなぁと。
メンバー&スタッフの皆さんが無事でよかったです。














