串田歌舞伎
串田和美演出の歌舞伎は、少なからず衝撃的だった。
普通の劇場に平場席を設けたのは画期的であったし、演出も、当時の芝居小屋を意識したものが多く、観客を非常に楽しませた。
コクーン歌舞伎、好きか嫌いかで言えば好きな方であるが、やはり、好きな場面と、納得のいかない場面がある。
納得のいかない場面、何はともあれ「三人吉三」の幕切れである。
あの、大雪が降る演出は悪くない。むしろ大好きだ。これに限らず、客席に水が飛んだり雪が降ったりするのは、好きな方である。歌舞伎座などの大舞台だと、どうも魅力が伝わりづらいが、小規模の芝居小屋(まして平場は)では、こういった演出が非常に映える。
しかし問題は、このあとである。歌舞伎本来の、非常に重要な演出を無視した展開となるのだ。
三人の死体の上に雪が降り積もり、やがて雪がやむと、舞台が回転し、折り重なる三人が晒される。そしてしばらくののち、静寂の中で幕が下りる。これには閉口した。
歌舞伎の魅力のひとつとして、最高潮で幕となるという演出がある。
桜が一番舞っているところで幕となり、雪が一番降っているところで幕となり、善人が事切れる瞬間に幕となり、追手に捕まったところで幕となる。人が死んで、残された人々が泣き悲しむなどという後日談は必要ないのだ。
視界が覚束ないほどに雪が降る中で刺し違える、その瞬間に幕が下りるとよかったのだが、さんざん引っ張って、ゆっくり幕が下りたと思ったら、さらにカーテンコールである。和尚の感情的な独白で込み上げた感動も、すっかり醒めてしまう。
随分批判的な意見を書いてしまったが、非常に好きな場面もいくつかある。
「四谷怪談」の北番の幕切れで、背景に死体が降っているところがそのひとつだ。
この場面の魅力は、まさに地獄が再現されているところである。
南北作品には、大きなテーマとして「因縁と愛憎が生み出す人の世の地獄」があると私は考えているが、それが象徴的に表現されているのだ。
己の欲に駆られた伊右衛門が、この世での散々の苦悩の末、さらに無限の地獄で苦しむという、観ていて恐ろしくなるような光景である。人の愛憎ほど、怖いものはないと、観る人をして思わせしめるだろう。
それから「桜姫」の幕も、独特だが非常によい。桜吹雪の中で、舞い狂う桜姫。ともすれば非常にシュールだが、ストーリーの退廃的な雰囲気をより一層強調しているようにも見える。
ここまで書いて、あれっと思った。全て幕切れの場面だというのは、やはり幕切れに対する思い入れが強いからなのだろう…。終わりよければ何とやらの精神も、ここに極まった感がある。
何はともあれ、今後の演出も期待している。
勝手な要望だが、次回コクーンは、十六夜清心をやってもらいたい。
愛憎と因縁。
歌舞伎の妙であると同時に、串田演出の醍醐味でもある。
