例のタイ人の友人は、自らの経験を踏まえ、商売のことも考えながら、
自ずから住居を確保することが難しい外国人のために、
それなりに手はずを整えた上で、
彼等に住処を提供している
自ら住処を確保できない身分にある彼等であるからして、
当然、その前提となる稼ぎも不安定である
ということは、提供している住処の出入りも激しいものとなる
ある住処が空いたとき、そこの清掃を担当するのが、わたしなのだが、
そういうときに感じるのが、そこに住んでいた連中の、
それまで培って来たであろう教育環境なのである
台所の流しもそうだし、
風呂場なんぞ特に目立つことなのであるが、
後のことを全然考えていないのである
流しに油を直接流せば、流し自体も気持ちいい状態ではなくなることは勿論、
中長期的には、排水のパイプが詰るという弊害も生ずる
連中のほぼ99パーセントがお風呂をシャワーで済ますので、
風呂桶に座った目線での状態をほとんどが把握していない
使用後に、しっかり周りを洗い流さないと、
黒いポツポツが発生するということを認識していない
それらの不都合を未然に防ぐのは、
その場その場におけるちょっとした気遣いだけなのだが、
そんな簡単なことも、解らない連中がほとんどなのである
公共的とか、合理的とかいう観点は、
やはり適切な教育あってこそもたらされるものであろう
徒に知識ばかり与えるのは弊害有りだが、
おのれで判断できる最低限の教育はやはり必要だろうと思う
もっと簡単に言うと、
おのれの判断は、すべておのれに帰って来るのだぞ、ということなのだ
それは、突き詰めると、『猿の惑星』にならない様にするということなのだが、
そこまで普遍化すると、また足元が見えなくなる
まあ、とにかく今日は後始末で疲れたということで、
そんなことを考えたりした