もの凄く自信がないと、どうなるか?というと、誰か頼れる人を探す。

でも、そういう人は大抵コミュニケーション力が乏しくなかなか言いたいことも言えないので、リアルではなかなか探せない。


だから、自己啓発書を多読したり、善人を演じているみたいな自己啓発ブログを読んで信者になったりする。

この時点で、ただの娯楽レベルで楽しむなら問題はないだろう。

ただ、それから一歩進むと、自己啓発系のセミナーに行ったりして一種の妄信状態になる。

最初は、1000円ぐらいかもしれない。だが、次第に3万、5万、10万と上がっていく。

貯金を崩し、本来なら他に使うべきだったお金を費やす。これは、もはや娯楽レベルを越えているだろう。


そして、そこで仲間を作る。ただそこでも、特出した行動はせず「〇〇〇って凄いね、学べたね」と言い合う、慣れ合う、

だが本質のところでは何も変わらない。当然、あくまで自分と同じような立ち位置やレベルの人ばかりのぬるま湯だからだ。

心地よい代わりに、刺激がない。


実際、リアルで凄い人は、そんな場所には絶対にいないからだ。

だから結局のところ、自信をつけることには到らず、しばらくしたら次の寄生先を探す。


自己啓発教のFacebookのコメントとかを読んでみよう。気持ち悪いぐらい、お互いを褒めあっている。

むしろ、褒めるしか能がないのかと思うこともしばしばだ。それも褒め方が一様だ。

「これいいですね」「この考えはなかったです」みたいな。

いや、お前本当に考えて読んでいるのか?他に言うことはないのか?と感じる。

だが、それを求めているのだろうし、悪くはない。


それが実生活で役に立つか、というのは、参加者にとっては本質ではない。

要は、妄信した上での仲間が欲しいのだ。ファンの集いと言ったほうが分かりやすいかもしれない。

こうして、セミナー主が「右を向けと言えば、右を向き」

「左を向けと言えば、左を向く」従順な教徒が出来上がっていく。仮に誰かがその主催側を叩く発言をしたら、

積極的に擁護するだろう。そう、度が過ぎると、時として信じるという力は攻撃性を生む。

そして、それが正しいと思い込む。だから、周りへの勧誘をし始めたりする。