6月、祖母が亡くなった、享年94歳。
ここ7年以上はずっと介護施設に居住していて、もう呆けが激しかったんだけれど、うちの子供の泉希(4)と咲貴(2)(祖母的にはひ孫)を連れて行くと、誰なのかはわからないにしても無条件でかわいい、かわいいと最高の笑みで出迎えてくれたものだ
祖母と祖父(既に故人)は子供が大好きだったが中々子に恵まれず、養子として子を迎える。それが僕の母。
母にとって、祖母は相当厳しかったらしい。そんなネガキャンを幼少期から聞いていた僕は祖母の事があまり好きではなかった。
祖母が亡くなって、通夜。祖母のそばで眠れない夜に祖母に思いを馳せると不思議と昔の記憶が蘇る。トイレの後におケツを拭いてくれたり、トイレ後におケツを拭いてくれたりした思い出が蘇った。それ以外はないのかと、更に思いを馳せてみると、焼きそばBAGoooon!!の湯切りの時に麺が湯切りの穴から麺がはみ出して「あら、まあww」と言ったことくらい。
こんなに近くに住んでて、こんなどうでもいいことばかり浮かぶのは最初は凄く後悔したんだけど、日常を切り取った一コマがこんなに細かくたくさん出てくるのは、近かった証拠なんだなって思って嬉しくなった。
棺に入れて最後のお別れの時、あんなに嫌い嫌いと言っていた母が血の繋がっていない祖母にこう優しく語りかけた
「ばぁちゃん、子供出来なくて辛い思いもしたみたいだけど、今ではこんなに家族ができて良かったね。今は泉希と咲貴も生まれてくれて、たくさん会えて幸せだったね。良かったね。ありがとね」
って泣いてて、人生って本当になんだろうなって思ったよ
祖母も子供ができなくて、養子として僕の母を貰う決断をして、本当に良かったと思う。まじ感謝の意。マジ決断Goodおかげで母が元気で育ち、僕らが今を生きていられることには変わりないから。
今現在、僕らと別居中の父母の所にも、子供らとけいこと一緒にしょっちゅう行くんだけど、一昨年死んだ犬、エルの事を思い出して母が最近ずっと泣いてたらしい。まだ、エルの骨は埋めてなかった。
僕らとも色々あって離れてしまい、父母の寂しい色々な気持ちが相まってそうなったんかな。
父もらしくなく、エルをどこに埋めるか必死で考えたらしく、結局があいつがいつも生活していた小屋の場所埋めるって決めたんだって。それならエルも、また我々と生活できるかもだって。
両親よ、退職してから相当弱ったな、、。社会から隔離されてるような感覚なら、それは間違いだぞ。僕らはあなた達を必要としているし、これからも頼りにしていかないといけないから、あまりスピリチュアルな事に依存しないで欲しい。
結局、今日みんなでエルの骨をそこにやっと埋めて来た。
なんかちょっと寂しい。
ただみんながっかりしないでくれ、実家には既に新しいペットがいるのだ、紹介しよう、チョコである
この子が実家の明るさを保ってくれてる現状。すっごい生意気だけど以外と空気読むし寂しがりやな子。チョコも、長生きして欲しいな