「うまくやろう」と
「うまくできなかった」の狭間で、
消え入りそうな声が、今日もそっと届く。
言い過ぎたひと言。
抑えきれなかった衝動。
器用にこなせなかった自分。
過去に縛られて、
現在を責めながら、
未来が、少しずつ輪郭を失っていく。
レース越しのやわらかな光も、
カップから立ちのぼる、あたたかな湯気も。
もしかしたら、
誰かがくれた小さな優しさまで見落としたまま、
一日が、暮れていくんだろう。
本当は、どれも、全部 ——
「今日」にしか触れられないものだったのに。
わたし達は、
深呼吸する余白は持たないのに、
なぜだか自分を責める儀式だけは、
手放さない。
果たして、それに、
心から救われた瞬間があっただろうか。
今日という一日が、
もう二度と戻らないと知ったときの虚しさを、
誰もが、知っているはずなのに。
自己否定の影に、
ほんとうに欲しかった「今日」が、
うずくまっているとしたら。
湯を注ぐ音に耳を傾けながら、
ベランダに出て、柔らかな空気をなぞる。
空を仰いで、小さくつぶやく。
——「今日も、よくやった」と。
昨日までの自分を、そっと赦しながら。
責める声より、讃える祈りを。
戒めよりも、あたたかな眼差しを。
今日を生きた「私」に、注ぐ。
「昨日は過ぎ去った。
明日はまだ来ていない。
私たちには、今日しかない。さあ始めましょう。」
Yesterday is gone.
Tomorrow has not yet come.
We have only today. Let us begin.——Mother Teresa
大切なのはきっと、
今日という一日の尊さを知り、
限りある断片を、いかに愛せるか。——
“わたしたちは決して大きなことはできない。
できるのは、小さなことに対し大きな愛をもって行うことだけ。”
人生は、昨日でもなく、明日でもなく、
もう二度と逢うことのない、
「今日」で、できているのだから。
愛しましょう、今日を。
愛でましょう、今日の自分を。
そして、また今日を迎える。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
素敵な一日を🕊️

