『言い淀む 君の言葉の その先に
   冷えた君が もがいて見える』

これから先、私はどういう風に老いて行くのだろうか、と
時々考える。20代、30代には考えもしなかった事だが、
40代の後半にそろそろ差し掛かって来ると、やはり考えない訳には
行かない、と細胞が語りかけるせいだろうか。

歳を重ねるのが嫌な訳ではない。
日本では就職するにしても、勉強をするにしても、
何か新しい事に挑戦するにしても、つまりは何をするにしても、
『若い』という事が最重要視されるが、
私にとってそれは、「くそくらえ」な概念もしくは思想で、
実際に各年代を今まで生きて来て、今が一番自分らしく
生きているような気がする。

しかし、精神は肉体と呼応して老いる訳ではないから、
ついつい、この先自分はどうやって老いるのかを考えてしまう訳だ。

例えば、この先一人になったとして、また私は誰かとひとつ屋根の下に
住むのかな、と考える。
すぐさま、「ないなぁ」と思う。
でも、「それはやっぱり寂しい事なんだろうか」と思う。
では、誰かと一緒に暮らすのだろうか。

誰かと暮らす事はあんまりしたくないな、と思う。
もし好きな人がいるのだとしたら、スープの冷めない距離で
暮らすのが理想の様な気がする。
どんなに熱烈に「好きだよ」「愛しているよ」と言っても、
その気持ちはいつの間にか落ち着いた物に代わり、
それでより一層の相手を慈しむ気持ちが生まれるのなら良いが、
そうではなく、相手を鬱陶しく思う気持ちになったりしたら最悪だ。

他人と一緒に暮らす、という所作は、相手の欠点をも愛して包み、
それをも認める事なのだと私は思うのだ。
もちろん、「好き、好き、好き!」と頭が体内から分泌される
得体の知れない化学物質によって舞い上がっている間は、
「それ、出来る!ずっと一生、永遠に出来る!」といとも簡単に言えるが、
だが、私にはそう言う事は出来ても、それを貫徹する事はほぼ出来ない、
と、自分の過去を振り返ってわかるのだ。

だから、お互いに親切に出来る距離を保って、暮らすのが
どんなに老いても、人間であり、それぞれの性を死ぬまで保有する事に
繋がるのではないのかしら、と思ったりする。

そして、これを書きながら、
「なんてまぁ、この人(私)は自分勝手は事ばかりを考えているんだろう」と
失笑してしまう。
それは、嘲笑とも言うのであろうか。

結局、私は自分が一番好きな様なふりをして、
実は、私自身を愛しきれていないのだ。
自分を愛せない人間、自分の足りない所、弱い所を愛おしめない人間に、
果たして他人を心から愛する事なんて出来るのだろうか。

だから、私は「好き」にはなれるけれど、
本当の意味で「愛してる」とはならないのかもしれない。
自分なんてものは忘れる位の人と出会えば、
このどうしようもない部分もどうにかなるかもしれないけれど、

それはさすがに、この私の歳、環境では、無理な話しだ。

初めて、『若さ』に嫉妬するね。



『灰色の 空を見上げた 溜め息は
     理性の鍵を 彼方に埋める』

友人とテニス仲間の到来を待ちながら、
女が40代になってしか話せない様な事を話した。
そんな話しをする内に、一体、何が道徳なのか、何が徳なのかが、
一瞬、その自分の内にある確固としたものが、曖昧に消えそうな感覚を覚える。

タブーに踏み込んで話す時、なんだろう、人はいつもと違う表情を見せるんだな。

私に、そういう魅力はあるんだろうか、と考える。
私には、そういう二重扉がない。

こうやって朽ちて行くのか、と思うと、冴えない女だな、と思うが、
でも、これでいいかな、とも思う。

自分勝手に生きる程、もう若くないし、
自分勝手に生きて自分と自分以外の人を傷つけるのは、
自分の人生を哀しく大きく曲げると、知っているから。



やっぱり英語のクラス、落とそうかな、と思う。
どうも教授と反りが合いそうにもない。
なんか、こう、「違うんだなぁ。違う気がするんだなぁ」と心が渦巻く。

生物ラボと統計学はそのまま続行。

が、落とすとなると、ちょいと来学期に色々な変更が出て来る。
なので、カウンセラーとそこら辺を相談しようと思う。

Let Me Take Everythin' Easy-stats' text
これが統計学の教科書。
中もカラフルで教授なんかいらない位にわかりやすい。


Let Me Take Everythin' Easy-homework
ある日の統計学の宿題。
見た目程は難しくはありません。トリッキーだけど。


Let Me Take Everythin' Easy-english text
英語のクラスは英文学のクラスなので、教科書が短編集。
フラニー・オコナーのA Good Man Is Hard to Findはすでに数年前にも読んだ。
最初のユーモラスさが嘘の様な、恐ろしい結末である。