サーダ・タルハマヤ | LIZABSTRACT

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サーダ・タルハマヤ役の女優さんが気になっていました。

 

人に聞いてみたけど

知っている人がいなそうなので検索してみました。

タルハマヤ役・kaya(佳野)さん

http://www.siesta-tokyo.com/article/moribito2-7.html

 

だそうです。

 

 

kaya と聴くと・・・伽耶 を連想します・・・

 

ちょうど 応神天皇と天日槍から

都怒我阿羅斬等の事を考えていました。

 

 

 

それにタルハマヤの話も

祭壇のある大樹をモチーフにして

檀君神話を元にしていそう。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3

古事記応神天皇記では、その昔に新羅の国王の子の天之日矛が渡来したとし[注 3]、その渡来の理由を次のように記す。

新羅国には「阿具奴摩(あぐぬま、阿具沼)」という名の沼があり、そのほとりで卑しい女が1人昼寝をしていた。

そこに日の光が虹のように輝いて女の陰部を差し、

女は身ごもって赤玉を産んだ。

この一連の出来事を窺っていた卑しい男は、その赤玉をもらい受ける。しかし、男が谷間で牛を引いていて国王の子の天之日矛に遭遇した際、

天之日矛に牛を殺すのかと咎められたので、男は許しを乞うて赤玉を献上した[6]

天之日矛は玉を持ち帰り、それを床のあたりに置くと玉は美しい少女の姿になった。そこで天之日矛はその少女と結婚して正妻とした。しかしある時に天之日矛が奢って女を罵ると、女は祖国に帰ると言って天之日矛のもとを去り、小船に乗って難波へ向いそこに留まった。これが難波の比売碁曾(ひめごそ)の社の阿加流比売神であるという[6]大阪府大阪市比売許曾神社に比定)。

 

阿加流比売神 は古事記では赤玉から化身する。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8A%A0%E6%B5%81%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E

 

 

日本書紀』では垂仁天皇紀に記述がある。

都怒我阿羅斯等は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。足跡を追って村の中に入ると、その村の役人が、「この荷の内容からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしているのだろう」と言って食べてしまったという。都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった

都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、豊国国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られているという。


 

 

 

都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は、『日本書紀』に伝わる古代朝鮮人物

『日本書紀』では「都怒我阿羅斯等」、他文献では「都怒賀阿羅斯止」「都怒何阿羅志止」「都奴加阿羅志等」とも表記される。また『日本書紀』では別名を「于斯岐阿利叱智于岐(うしきありしちかんき)」とする。

意富加羅国(大加耶/大加羅)の王子で、地名「敦賀(つるが)」の由来の人物といわれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E6%80%92%E6%88%91%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%96%AF%E7%AD%89

 

日本書紀』では垂仁天皇2年条の分注として2つの所伝が記載されている[1]。1つ目として崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したという[1]。そしてこれが「角鹿(つぬが)」の語源であるとしている(角鹿からのちに敦賀に転訛)。また垂仁天皇の時の帰国の際、天皇は阿羅斯等に崇神天皇の諱(御間城<みまき>天皇)の「みまき」を国名にするよう詔した(任那(弥摩那)の語源[1]

その時に阿羅斯等に下賜した赤絹を新羅が奪ったといい、

これが新羅と任那の争いの始まりであるとする[1]

 

2つ目の所伝では、阿羅斯等が国にある時、黄牛の代償として得た白石が美しい童女と化したため、阿羅斯等は合(まぐわい)をしようとした[1]。すると童女は阿羅斯等のもとを去って日本に行き、難波並びに豊国国前郡の比売語曽社の神になったという[1]

なお2つ目の所伝の関連伝承が、『古事記』の天之日矛(天日槍)阿加流比売神説話や、『摂津国風土記』逸文(『萬葉集註釈』所引)に見える[2]

 

 

 

 

伽耶と新羅の戦争の話しにつながってくる。

 

赤い玉か白い玉か

 

牛 黄色い牛 牛は食べられたのか?

 

少しづつ違う 年代 玉の色 等など

一体それらは何を伝えたがっているのか?

 

 

もう少し考えてみたい。