誌公帽子と呼ばれた「宝誌の帽子」 | LIZABSTRACT

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十一面観音の化身 宝誌和尚
http://ameblo.jp/lizabstract/entry-11426385888.html



「萱の御所」別名「牢の御所」から復活した
松田・ごっしー被り物をしていましたね。

このところ、宝誌和尚の被っていた帽子の
事を色々調べていたので、オォ!と思いました。

僧侶の帽子、色々ありそうなのですが、
松田・ごっしーのは被るタイプの帽子と区別する
為に護襟(ごきん)という俗語があるのだそうです。
帽子も僧侶の衣装では「ぼうし」と発音しないで
「もうす」と読むのだそうです。

演劇などの時代衣裳の世界では、「ごきん」と
いうのはよく使われたように思います。
尼僧の被り物も似た形のは「ごきん」と
呼んでいた気がします。

このサイトを見つけたのですが・・・
http://www5e.biglobe.ne.jp/~e-kaori/houi/iro3.htm

色々興味深い事が書いてありました。

「 隋の天台大師が煬帝から縹色の袖を
賜った史実を基に、天台宗の宗祖最澄が正装の時
かぶったものが、帽子(もうす)の起源と伝えられる。」

松田・ごっしーのも「襟巻き型の帽子」が
正式名称のようです。



Wiki「宝誌」を一番最初に読んでみて思ったのですが、
宝誌は天啓の民と関係があるのかな?と
思いました。

それは、
wiki「宝誌」に依ると

「南斉の成立頃より神異の行いが見られ始めた。長髪・裸足の姿で徘徊し、手にした錫杖には鏡や鋏などをぶら下げるようになった。また酒肴を口にしたり、あるいは数日間何も食べないこともあるといったあり様であった。さらに予言を行い、人の心中を言い当てた。一時に数所に現れるという分身のさまも目撃された。」

と言う部分から感じたのですが、
「長髪・裸足の姿で徘徊」とかは
キリストや、イスラム神秘主義にある
粗末な服で髪を伸ばした状態が思い当たりました。
魚や酒を口にするのは、キリストの食ではよくあるし、
アラブでも魚は頻繁に食べられています。

厳格な仏教徒には酒は禁じられても、
初期キリスト教なら不可欠でしょうし、
かと言って、「酒肴を口にした」事は
酒を呑んだ事ではないかもしれませんけれど。

イスラム教ならば、酒は禁じられています。
たしかキリストも最後の晩餐において
酒を絶ったように思います。
ちょっと今その部分が新約聖書みたけれど
みつかりませんでした・・・


ただ、宝誌の頃キリスト教もまだ原始的な
部分をおおいに残していたと思われます。


日本の隠れキリシタンは、西洋のキリスト教と
かなり教義や解釈が違う事を、
随分前に遠藤周作氏の本で読みました。
天啓の民たちも、今とは全く違う教義があったでしょう。



「数日間何も食べないこともある」とは
断食の事のようにも感じましたが、
インドのような個人的な修行で釈迦が行ったような
断食でない事を察する事が出来そうです。


この断食と言うのも色々な断食があるようで、
肉の断食とか、酵母入りのパンを食べてはいけないとか
そういうのも天啓の民達に見られる断食の一種
でしょうが、梁代の都の人から見たら
感覚的に全く異国の風習で、意味がわからない
事があるでしょう。




「宝誌は天啓の民の影響を受けている」と
勝手に思い込んでいましたら、
伝説として後世に書かれた宝誌の姿には
帽子がつきもののようなのです。


あるサイトに「武帝と帽子を被って面会したのは
宝誌だけ」・・・たしかそんな事を書いてあるのを
読みましたが、古い記録だと宝誌は長髪で
帽子の話は出てこないのに、
伝承になればなるほど帽子を被っているのです。


隋代581~618年になると、
「宝誌は三布帽を重ねて被り、現れた」とか


「宝誌は剃髪しているにもかかわらず常に帽子を被っており」
と、剃髪もしてしまい。


その事は外国にも広まり・・・
「高麗も宝誌のことを伝え聞き、
使者を派遣して綿帽を齎して供養した。」


「誌公帽子と呼ばれる宝誌に由来する帽子を被った像も
描かれ、敦煌でも発見されている。」
敦煌の宝誌は帽子を被っているそうです。

古い記録は宝誌は剃髪していなかったのですが、
宝誌を知らない世代の伝承では宝誌は剃髪して
帽子を被っているのですが、
じゃあ一体どんな帽子を被っていたのだろうか?
と想像するとインドの砂漠地帯の人が被っているような
布を巻いたのか?


「三布帽」とか「誌公帽子」がどんな帽子か
わからなかったのですが、
諸星大二郎の漫画に出てくる胡人みたいなイメージ。
こんな感じかな~?とか想像いたします。




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宝誌は「俗姓が朱氏で、金城の人であり」
と言うことなので、金城を検索してみることにしました。
そうしたら、現在は蘭州市という場所が
古名が金城だという事がわかり。

wiki「蘭州市」では、

「民族

漢族に次いで回族が多く、他にもドンシャン族、ユグール族、サラール族など白い帽子を被ったイスラム系住民が多い。」

と言う事だそうです。

「古くからシルクロードの要衝で、
秦の昭王の時代に隴西郡の地となり、
漢代に金城郡が設置された。
このため金城が蘭州の古名となった。」


やっぱり宝誌は「もろこしの人」と言うには
かなり出身地が異国情緒漂う感じだと思います。

蘭州市のある甘粛省は「西夏王国」と
呼ばれた場所で、
武帝から見たら、宝誌出身の金城も
異教徒が行き交う大きな都市だったと
言って良いのではないかと思われます。


シルクロードの要衝であることから、色々な民族の坩堝で
あった事も想像できます。


イスラム教は西暦の622年をイスラム暦元年に
定めているが、これはメディナにウンマ(イスラム共同体)
が出来た年だ。
預言者ムハンマド自身の生誕は、570年頃と言われていて
宝誌 418~ 514年に影響を与えるならば
イスラム教の成立は少し遅いのだ。


ただイスラム教に先駆けてなんらかの
アラブ人に向けた宗教の芽が芽生えていた事は
充分に想像できる。


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以前から私は、キリストが洗礼者ヨハネから
洗礼を受けた。エッセネ派であったと言う
意見に賛成だ。
エッセネ派は隠遁生活の中で清貧に甘んじる
生活をしているために
あまりその教義や生活スタイルが明からさまに
なることはない、古代ユダヤ教の一派だが、
キリスト以降もひっそりと受け継がれて
イスラム教のスーフィーにも影響を与えたとも
言われてもいる。


チベット僧院には古文書「イエッサ伝」があるそうだし、
マグダラのマリアの赤い服はチベットの僧服の
影響かもしれない。
キリストが記録がない空白の期間がとても長いので
キリストもインドやシルクロードを旅して修行の場を
求めたのでは?という話も度々聞きます。
またその旅の最中に影響を受けた
修行者も居たことだろう。




イスラム教スンニ派の友人に聞いたのですが、
イスラムではイーサー(キリストのアラビア語)
は磔刑になっていないのだそうです。
死んだのは身代わりに死んだ影武者だった
のだそうです。
よって、イスラムではイーサーはナビー(預言者)の
一人ではあるが、神の子ではないのだそうです。


宝誌生誕地の周辺も調べると、
蘭州のある甘粛省の南部や西北部にも
チベット人の居住区があった。


蘭州は色々な宗教が身近にあった場所で、
そんな環境で宝誌は成長するのではないかと
思うのです。
ですから仏教徒であるにもかかわらず、
金城の習慣的な事から天啓の民の文化を
知らず知らずに吸収した人なのだと思います。



先日、知人が書道の展覧会に招いて下さった。
それがちょっと変わった書道家集団で、
甲骨文字と言う、古代中国の文字しか書かない書道展なのだ。
甲骨文字と言うのは卜占に使われる文字で、
神や占いに関する神秘的な内容のものが多く
骨や亀の甲羅に彫られていて形からして妖しい。


見た目は別として内容は草食系日本人の私には、
ちょっと刺激的だったりした物もある。
その時に説明を受けたのだが、
同盟の「盟」の字は、「動物の血などを器に入れて
回し飲みすることで、結束を誓い合う」と、
言う意味を含んでいるのだそうだ。


それを聞いた時は「血を食べる」習慣が無い日本人には
なんて気持ちの悪い・・・と思ったのだが、
韓国料理にはスンデと呼ばれる腸に血を詰めた料理がある。
私は食べた事はないのだけれど、地域によっては
かなり一般的に血を食べる習慣はある。と、
思い直して、改めて考えると・・・


よく、「キリスト教が茶道に影響を与えた」
「ミサで葡萄酒を回し飲む儀式を茶道に取り入れている。」
と言われるが、実はもっと前に、
はじめはキリストの方がなんらかの方法で、
古代中国で使われていた
「血を回し飲む儀式」の事を知り、血の代わりにワインを
用いてミサに取り入れたと考えるのはどうだろう。



キリストが古代中国の儀式を真似たとは、
キリスト教徒は言われたくないだろうが、
東方正教会では「最後の晩餐」の事を
「機密制定の晩餐」と呼ぶ。

「同盟」と「機密制定」。
東方正教会は伝えられるままに名称を伝えていて
それがなおさら血によって結ばれた同盟との関係を
感じさせている。
この東方正教会の言う「機密」とは
教会によって結ばれた人々の繋がりで、
キリストが信者の霊魂に与える見えない神の恩寵を
授ける事である。
原語はμυστήριον(ミスティリオン)
古典ギリシャ語読みだと「ミュステーリオン」。

機密の「密」は密教の「密」であることも見逃せない。



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空海以前にも日本には密教が伝わっていて
それは雑密(ぞうみつ)と言って
空海が広めた純密と区別されるが、
空海も唐に渡る前に雑密の知識を学んだ形跡がある。


密教の「密」は秘密の教えだとよく言われるが、
実は語源はソグド語だという話がある。
ソグド語の意味は「日・太陽」であって
Mir・ミールと発音した音を「密」や「蜜」で
あらわしたのだそうだ。


玄宗皇帝と楊貴妃の話には必ず登場する
「安禄山」彼の名の「緑山」も
ソグド語でrwxšn/roxš(a)n ・ロクシャン
「明るい・光」の意味だそうでそれを音訳して緑山
なのだそうだ。
なんと我国の光明皇后と同じ名前?って事ですね。


安禄山はサマルカンド出身のソグド人と
突厥(とつけつ・テュルク)系の混血だそうだ。


「ソグディアナにはアラム文字(古代シリア語)が
入ってきて、のちにソグド語がアラム文字で表記される」
と言う記述もあるので、かなりソグド語が色々な言葉に
姿を変えて広まっていそうでもある。


ソグド人がシルクロード交易で持ち前の商業センスを
発揮した成果で、ソグド語は中央アジアから
中国に至るまでの広い地域にいたるまで
ソグド語が使われていたようだ。





ところで、突厥(とつけつ・テュルク)とは
テュルク系遊牧国家らしいが、
テュルクは「トルコ」らしい。

突厥のテュルク人達は遊牧民だけでの会話では
テュルク語を使っていたが、公用語はソグド語で
あったそうだが、日本にもシルクロード経由の
ソグド語が文字を変え、形を変えて入ってきていた
としてもおかしくない訳だ。

同様に古代テュルク語が、碌山のロクシャンのように
形を変えて入って来ていそうだ。
5世紀に突厥文字が用いられ出すが、
この文字は古代アラム語系統に位置づけされて居る。



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「古テュルク語での「神」(テングリ)」と言うのを
見てちょっと驚いた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E5%8E%A5%E6%96%87%E5%AD%97



「後白河は日本第一の大天狗」のあの天狗は
古代テュルクのテングリも天狗に通じただろう。

テングリと言う言葉もまた
キルギス語やウイグル語など中央アジアで
広く使われるようで、
天山山脈にはハン・テングリ山もあります。



よく秦氏や弓月氏のルーツでもある中央アジアから
来た言葉なので、天狗を持ち込んだのは秦氏だと
言うが、古代テュルク語経由の密教媒体で
修験道に組み込まれると関連付けた方が
しっくり来るように思う。
この話はまた別の機会に書いてみたい。



ところで、主題にしていた宝誌の帽子だが、
結局最後まで、私にはそんな帽子に
たどり着く事は出来なかった。
だが、宝誌の帽子なんてなかったのではないかとも
少し思ってもいる。



伊豆で造られた「宝誌和尚立像」は
帽子を被っていなかった。
梁の書物に書かれた記述に忠実に像は制作された
のだと思うが後世になってから、
シルクロードを行き交う人や、宝誌の故郷が
金城であった事がわかっていたので、
金城にイスラムの人々が入ってくるように
なってから彼らが被る帽子などを
連想してそういう像が造られるようになったの
ではないだろうか?


砂漠を旅する時に帽子や布を頭に巻いたりするのは
ほぼ必需品と言っても良い。
砂漠は風があって、砂が耳にまで入ってくるからだ。
そんな帽子はあっただろうが、
「いつも被っていた」と言うのはどうだろう?




今後も何か資料を探ってみたいが、
一応今のところは、宝誌の帽子に該当するもの無し。
と、仮にではあるが結論づけて置く。

と言う事になってしまいました。

期待して読んでくださってた方がいらしたらすみません。

また何かわかったら書きますね♬



まだ宝誌について書く事が色々残っている気がする。
「聖徳太子の未来記と宝誌の野馬台詩」にも
触れておきたいし、
「「宝誌和尚立像」の仏像の材となった樹」の
話にもいずれ触れたいと思っています。



今日はこの辺で!


 





 P.S. 夕べ 
「中国文明の謎 第3集 始皇帝 "中華"帝国への野望」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1202/index.html


観ていたら偶然、同盟の儀式で
血を飲むシーンやっていました。
「うわぁ~あんな器で、あんな感じで飲むのか~!?」

って思いました。
ここ何日か同盟の血の事を考えていたのですが、
牛の耳を裂いて血を器に注ぐなんて・・・

源氏と平家なんて熾烈な争いで鎬を削るとは言え、
なんだかお魚とか宋のお菓子とか野菜ばっかり
食べて戦っているのだから、
あんな肉食系と戦ったらかなりセンスが違うだろうな。
と思いました。

ちなみに「盟」の字の右上の月は、
月って意味じゃなくて、月=肉 なんだそうです。

そして肉から滴る血を「皿」で受けている図に
なっているのだそうです。

なかなかショッキングな漢字なのでありました。