クリストファー・ロイドさん曰く「人間は自然に支配されているのだ。」 | LIZABSTRACT

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ごっしーの絵巻の予言詩の事を前に書いた。


「後白河法皇が「予言詩」で警告する戦慄のカタストロフィ」
http://ameblo.jp/lizabstract/entry-11417746175.html

その後で、絵巻の予言詩を書いたとされる僧・宝誌について
少し触れた。

「宝誌和尚と「館蔵仏像名品選」」
http://ameblo.jp/lizabstract/entry-11418757050.html


宝誌と言う不思議な僧の話を書きたかったのだが、
その前に何故ごっしーが予言詩を残したのかについて
話して置かなくてはならないと思う。


大江匡房(おおえ の まさふさ)は白河帝の東宮付きの
家庭教師だった事は以前にも書いたが、
大江匡房は儒学者であった。
そして後白河は大江匡房の影響を強く受けている。

なぜそんな事を断言してしまうかと言うと、
吉備大臣入唐絵巻(きびのおとど にっとう えまき 
又は、きび だいじん にっとう えまき)は
種本が大江匡房の「江談抄」(ごうだんしょう)に
ある物語であるが、「江談抄」大江匡房の談話を
進士蔵人藤原実兼が筆記したものである。


ベストセラーになった養老孟司先生の「バカの壁」は
養老先生のお話を出版社の編集者が筆記したものである。
とか、そんなような感じなのかもしれない。

当然、筆録者にも優秀さが求められる。
この藤原 実兼(ふじわら の さねかね)という人も
若い時から博識で名高く優れた漢詩人であったが
28歳の若さで夭逝する。

そしてこの人こそ後の後白河の乳母(めのと)である
信西の実父である。
おそらく後白河は信西から「江談抄」に関する情報を
得たのではないかと私は考える。

そして、自身も父譲りの才能を発揮した博識な信西は、
後白河の乳母にもってこいの人物だったのだろうし、
後白河には帝王学としての儒教が幼い時から
培われていたものと推測出来る。


さて、ここで言う儒教と言うのは
礼儀作法や道徳の事ではない。

帝王の儒教とは、天意を読み取り未来を予測し
国を治める事である。
儒学者は天意を読み取る為に、古代の漢文や様々な
書物に精通することは勿論の事、易などの占いや天文学にも
通じ、庶民の風俗にも異変が現れていないか
分析する事を求められた。

大江匡房が「洛陽田楽記」の中で白居易の漢詩を引用しつつ
「一城之人皆若狂・・・一城の人皆狂えるが如し」と
記したのも、まさに儒学者の目であったのだろう。


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実は私はごっしーの残したかった予言詩について書く時に、
現代の人に、この予言詩「野馬台詩」をただの不思議な
面白話でなく、現代人への警告として聞いて貰いたいと
思ったし、今もそう思っているのだけれど・・・。

どうしても平安の人が受け止めた「天意」と言うものを、
現代人にそのまま伝える事に抵抗があった。

それでそこの所をどう伝えたら良いか考えていたら、
TVでベストセラーになった
歴史書の著者の番組をやっていた。



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「137億年の物語」の著者
クリストファー・ロイド氏が
「人類は色々な物を支配していると思ってきたけれど、
実は、人間は「自然」に支配されているのだ。
それを、フクシマは教えてくれた。」

原文のままでないかもしれないが、
そんなような内容の事をロイド氏が話された。

以下ロイド氏関連のニュースを転記する。


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クリストファー・ロイド氏:歴史書「137億年の物語」著者、高校生に授業--千代田 /東京

毎日新聞 2012年12月02日 地方版


 宇宙誕生からの歴史を文系と理系の両方の視点で紹介した歴史書「137億年の物語」(文芸春秋)の著者のクリストファー・ロイド氏(44)が1日、千代田区立九段中等教育学校(倉田朋保校長)で5年生(高校2年生)137人に授業をした。

 ロイド氏は英ケンブリッジ大学で歴史を学び、サンデー・タイムズ紙で科学記者の経験がある。読書好きだった長女が7歳の時、学校に興味を失い、「知識の細切れの勉強は退屈にさせる」と感じ、2人の娘を5年間家庭で教育した。家族で半年間、欧州を旅しながら各国について学んだ際、「歴史と科学をつなぐ本が必要」と思ったことが執筆につながったという。

 昨年の東日本大震災を機に内容を一部書き換え、今回の来日で福島も訪問した。娘と同世代の高校生を前に、「大惨事の直後は大局的に物を見るチャンス。自然資源の問題は世界共通の問題だ。本の巻末でいくつか疑問点を投げかけたが、解決策が日本から出てほしい」と語りかけた。【長野宏美】


〔都内版〕


http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20121202ddlk13100152000c.html





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ごっしーや平安の頃の人が言う「天意」や「神の意思」が、
宗教の無い日本で多くの人に語りかけるときに
わかりづらければ、「天意」を「自然」と
置き換えてもらっても良いかもしれない。

「自然」が何か人には計り知れない意思のような物を
持っているか、もしくはひとつの生命体のように
地球が生きているという「ガイヤ」のような考えに
置き換えてもいいのかもしれない。


それこそ、南方熊楠の「エコロギー」であり、
そして南方熊楠の「エコロギー」のバックボーンも
藤白神社の信心であり、辿っていくとなぜか
ごっしーの好きな熊野信仰とつながっていくのだ。

南方熊楠の一族が信仰した藤白神社は
中世において熊野御幸の盛期には、九十九王子の中でも
特に格式の高い五体王子のひとつとして崇敬を集めた
神社なのだそうだ。


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南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者である。

菌類学者としては粘菌の研究で知られている。主著『十二支考』『南方随筆』など。投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。



概説 [編集]

南方熊楠は和歌山県に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英博物館にはいる。後に日本に戻って、和歌山県田辺市に居を定めた。多くの論文を著し、大学者として名を知られたが、その生涯を在野で過ごした。

彼の学問は博物学、特に植物学を基礎とするが、熊楠の学風は、ひとつの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり、土蔵や那智山中にこもっていそしんだ研究からは、曼荼羅にもなぞらえられる知識の網が産まれた。

1892年(明治25年)にはイギリスにわたって、ロンドンの天文学会の懸賞論文に1位で入選した。大英博物館東洋調査部に入り、資料整理に尽くし、人類学・考古学・宗教学などを独学するとともに、世界各地で発見、採集した地衣・菌類に関する記事を、科学雑誌『ネイチャー』などに次々と寄稿した。

帰国後は、和歌山県田辺町(現、田辺市)に居住し、柳田國男らと交流しながら、卓抜な知識と独創的な思考によって、日本の民俗、伝説、宗教を、広範な世界の事例と比較して論じ、当時としては早い段階での比較文化学を展開した。菌類の研究では新しい種70種を発見し、また、自宅の柿の木では新しく属となった粘菌を発見した。民俗学の研究では、『人類雑誌』『郷土研究』『太陽』『日本及日本人』などの雑誌に数多くの論文を発表した。

年譜 [編集]

※日付は1872年まで旧暦
慶応3年(1867年)4月15日 - 和歌山城下橋丁(現、和歌山市)に金物商・雑賀屋を営む弥兵衛(後に弥右衛門と改名)、すみの次男として生まれる。南方家は、海南市にある藤白神社を信心していた。藤白神社には熊野神が籠もるといわれる子守楠神社があり、藤白の「藤」熊野の「熊」そして、この大楠の「楠」の3文字から名前をとると健康で長寿を授かるという風習がある。南方家の子どもたちは、すべて藤白神社から名を授けてもらっているが、熊楠は特に体が弱かった為「熊」と「楠」の二文字を授かった。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0




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「野馬台詩」では、「世界は無に帰す」と訳されているが、
予言詩の結末は変えられないだろうか?


儒教は長い歴史の中で、権力者の都合の良い部分だけが
拡大解釈され利用されて来た書物であるし、
ある時代には焼き捨てられ、またある時代には歪められた。

しかし普遍的な東洋の智慧の集結であることも
また否めない。
後白河も若々しい感覚をいつも忘れずに、
普遍的な威力を求めて儒家の教えに耳を傾けたのだと思う。


「天意」はフクシマに天罰を下したのでは無い。
人間が「自然」を支配出来ると奢った為に
フクイチは事故を起こしたのだ。





私が儒教の事を書く時に「天意」に抵抗感のある方は
「自然」に置き換えて 
大らかに受け止めていただけたらありがたい。


そんな事を踏まえて、今度こそ
宝誌和尚の事を書きたいと思う。