子どもは分身じゃない
livです。我が子が可愛いあまり、自分の分身だと思ったこと、言ったことのある親は私の母だけではないと思います。確かに、母からすれば自分の血を分け、腹で1年近く守り、痛みを味わい、命がけで生んだ我が子。自分の腹から生まれた、自分の子。でも、自分の子どもは自分ではない。この子どもは、親の思い通りになるために生まれてきたのではない。『子どもが言う事を聞かない』だって親の言う事にただ従うためだけに生まれてきたのではないのだから。もちろん、躾は必要です。でも、本当に躾でしていることなのか、親の都合に合わせたいだけなのかで、同じように見える行為も大きな違いを生むことでしょう。このブログですでに何回も書いていますが、私は幼い頃から母に、私は母の分身と刷り込まれてきました。そして成長していくにつれ、母と私は別の人間であることを認識しながらも、私は母にとってそれほど(分身とよべるほど)大切な存在なのだと思うようになります。母は、他にも『livの命はママの命よりも大事なの。だから絶対に危険なところに行ったり、死んでしまうようなことをしてはだめよ。』このことを基本に私は常々、世の中は怖いものだ、泣く子は嫌いだ、悪い子は施設に連れて行くといったことを聞かされながら、今振り返れば、怯えて、母や父、周りの大人の顔色を伺いながら成長していきました。母は、私を大切している(つもり)と同時に自分の都合のために恐怖で支配し、コントロールしていたのです。なので私は夜出歩くこと(独りで)は特に今でもできないし、周りの人の顔色や機嫌を伺いながらあたり障り無い様にしてしまう癖が未だに抜けません。結婚当初も、こんなしょうもない自分は夫にいつか捨てられてしまうのではないかという気持ちに頻繁に陥っていました。それは夫に限らず、交際相手には必ず思うことでした。私がある程度成長して、恐怖で抑えきれない年齢になる頃にはすっかり、母のために生きることが当たり前になっていました。これは、母の飲食店の手伝いをしていた頃のこと。私は非番で、友達の家に泊まり夜中まで起きて話し込んでいたある日、深夜3時になるかといった時刻でした。突然酔った母から電話があり、聞けば、鍵を飲みに行ったバーに忘れてきて家に入れない、そして飼い犬が早く母に家に入って欲しくてキャンキャン鳴いていて可哀想だから、急いで取りに行ってくれ。という内容でした。私は、自分の持ってる鍵を持っていくから鍵は翌日に自分で撮りに行ってくれと頼むと、『もうその店に私が行くと電話をした。鍵が手元にないと落ち着かないから早くしてくれ。車内で待っているから。』ということでした。私がとった行動はお察しの通り、母の言うがままでした。今なら、問答無用で無視をしたことでしょう。自分でタクシーでとりに行けばいいだけの話。私はいやいやながらも、母の決定に逆らえない自分に気付き始めた頃でした。また母は、自分が酔っ払った時のお客さんの話の内容や注文、母の言った口約束や行動を覚えてくれている私を、『livはママの日記だね。全部覚えているから助かるよ』といいました。この頃、すでに夫とは友達のような関係で、仕事後にしばしば飲みに(といっても私はお茶ですが)行くようになっていて、よく行っていたバーが、とても風変わりなマスターの居る店でした。そこでこの日記と呼ばれたという話を、何気なく話したら『それは異常だ』という話になったのです。(この『異常だ』のストーリーは以前の日記に先述したものを少し詳しく書いたものです)夫と出会い、このマスターに出会い、私は自分の扱われ方について考えるようなりました。とにかく、本当に少しの悪気も無く私のことを分身としか思ってないから、八方美人で他人に良く思われたい母は優先順位の低い自分のことのように、私を粗末に扱っても大丈夫(と思っている、)なんだと推測しています。子どもは、自分の思い通りになるために生まれてきたのではない。人間は皆、誰かの思い通りになるために生まれたのではない。自分の人生を生きるために、生まれてきたのだと私は思っています。