命 -208ページ目

信用と裏切りの関係1

トラウマの根源

私は物心ついた頃から人間を信用していなかった何故かは私的な事情で明かせないが。そのため、友達にも心を開けず育った。かといって友達が少なかった訳でもなく、むしろ多いほうだった。いわゆる 広く浅くに属するタイプだった

小学校の時、友達と遊んでいながらふと別の友達の話になった。
あの子はちょっと苦手」私は、そんな事を言ったのであろう。確かな台詞は覚えてないが。そしてそれは「秘密」と約束をしたのだ

事が起こったのはなんと次の日、その苦手 と言った友達から途端に「しかと」をされるはめになったのだ。話した子には「秘密」と約束を交わしたはずなのに まさかこんなにも早急に裏切られるなんて・・・

子供ながらにショックは大きかった。それからである。私の人間不信に拍車がかかったのは。たかが小学生のくせに と思われるかもしれないが、私にとって「信用」においては物心ついた時からの大きなしこりだったのである。

中学に上がってからも広く浅くは続いた。それも、あたりさわりなく 人とぶつからずにいたかったからだ。私は言うなと言われた事は口が避けても言わない主義だったが 中学となると世界は広がる。

ありもしない噂をたてる人もいた。いた、それだけで済めばいいものが、まさか私自身がターゲットにされるとは思わなかった。

私は割りと先輩にかわいがられていた。そのためか先輩達とはふざけあったり話したりという機会が多かった。中には当然男の先輩もいた。私は始めなんとも思ってはいなかったが、周りはちがったようだ。

憧れの先輩と仲の良い私を羨んでいたらしい。そして あろう事か ありもしない、有り得ない噂を流し始めたのだ。噂の根源など私にはわからなかった。

が、卒業する頃に発覚した。色んな噂を流し続けていたのは 私の身近な友達だったのだ。何が望みでそんな事をしたのだろう。今思えば羨ましく思い、軽い気持ちで流したのだろう。

だが 私にとってはショックが大きかった。そして人間不信に又も拍車がかかったのだ。以来私は 誰も信用しない人間となっていた。

その後も信用しようとして裏切られる機会が何度もあった。皆 大人になるにつれ 偽りや、ねたみなどで人格が歪み、汚れていくという事を知った

しかも、皆 それが普通のように互いが互いを騙しながら過ごしているのだ。
   
     私はそんな歪んだ汚い大人にはなりたくない。

現実と楽園の関係

思えば最近は・・・

その昔は悪夢に悩まされていた。人が惨殺されたり 自分が殺されたり、それが一晩中続いていたものだ。繰り返し繰り返し・・・・。そして 夢のなかとはいえ、とても痛かったのだ
その事に頭を抱えていたのは夏前後だった。

だがきずけばもう冬。今は夢見の悪さに憂鬱になる事が減った気がする
もちろん 悪い夢も見るが、前ほど支配されてはいない。

       これは薬が変わったせいなのか?

この事は母と話していてきずいたのだ。母もよく覚えていたものだ。
最近の夢といえば、冒険する事が多いかもしれない。果てしなく想像に近いが
 「幸せな夢」さえ見ることもあるのだ。


しかし、夢がリアルに幸せすぎた場合、逆に 起きた時の「不幸せなギャップ」に
幻滅してしまう


私は夢の中で、「これは夢だ」と認知する事ができる。だから やりたい放題できるのである。普段できない事なども夢の中で晴らす事ができる。
なんとも幸せなひととき」だ。

ここは誰にも邪魔される事がない唯一の私の楽園だ。

が、しかし 例外もある。あの人間が出てきた場合だ。最悪なことにこれもリアルにストーリーができあがってしまう。
そんな日の目覚めはなんともいえない憂鬱感と気落ちに悩まされる

 唯一の私の楽園まで侵さないで欲しいと切に願う今日この頃だ。

仲間と私の関係

あいつら

気ずけばいつも同じ場所にたむろっていた。目的があるわけでもなく、
かといって やる事もないくせに。

馬鹿馬鹿しいあの頃を忘れたくはない戻れはしないけど
今でも繋がってる、そう感じている。皆離れても考える事は同じに決まってる。

約束なんてしない。そんなものなくとも自然と呼び合うものがあるはずなのだ。一人だけ遠方に行っている。彼女が帰ってくるとなれば収集だ

皆ズルイ奴らで、大抵 収集をかけるのは私。皆その事をわかったうえで何もしない。面倒だが 笑える人達だ

私が病気になってからは1度も収集かけていない。全員が揃う事ができないらしい。なんだか心もとない。

先程の 遠方に行ってる彼女は、私が病気になったと聞きつけ、日本の端から日本の真ん中までわざわざ私に逢いに来てくれた

普通ならできないだろう。仕事も無理矢理に休みを繋げて来たらしい。
まだそんな分際ではないくせに・・・。

そんな仲間を忘れたくはない。あの頃に戻りたい
社会に出ると 徐々に逢う回数が減っていくが 久しぶりに逢っても誰も変わりやしない

学生のころの様に、バカ話や、とりとめもない話に花が咲く。延々と。
誰かが標的になると、一斉に攻撃が始まる。言いたい放題だ
そんな仲間が大好きだ。居心地がいい

色んな人達とのつながりの中でも これは大事にしたい。
例えば私がいなくなったとしても 誰かが心配して待っててくれるのだろう
いつもの様にバカ話をして私の帰りを待っててくれたりするのだろう。

ふざけあったあの頃を忘れたくない。だからといって進まない訳にもいかない。こんなジレンマくらい あってもいいだろう。                  
           全ては何かの縁だ。

現状と未来の関係

今のところ

私は今生きている。望んで生きているのか、と聞かれたら答えはノー
では何故生きているのか、と聞かれたら、・・・・
死にたいと願いつつも こうして毎日ダラダラと愚痴めいた事をつづっているだけ。

どうしたいのかと聞かれたら、答えは一つ。「あの人間に人の苦しみを教えたい。」と。

残り少ない純情のかけらをどう使おうか模索中。
私は、ほんとに死ねるのか。自らに問いかける。

これ以上傷つきたくないだろう?これ以上苦しみたくないだろう?
リセットして人生の脚色をするか、ここで 「ジ・エンド」にするか

私はどこもかしこも崩壊している訳ではない。誰の言う事にも耳を傾けないわけでもない。ただ ひたすらに「」に向かい 猪突猛進なだけだ

自分で自分が壊れていく姿を楽しんでさえいる時がある。
例えば 「手首を切っている時」  時折ニヤリ とする自分がいる。
冷静に思い浮かべると なんとも奇妙な事だろう。

そして 気分が昂ぶると、死後の自分や周囲の風を想像してまたニヤリ 

楽しんでいるようにさえ見えるだろう。私は自分の「」に翻弄されている

だが ふと思う。 私は凛とした姿で死ねるだろうか。そんな自分を愛してやれるだろうか。現状ではこんな余裕めいた事を考えていても いざとなったら私は死ぬ事をごねるかもしれない

いや、先はわからない。今は私自身の意思で「」を志願しているのだ。
自分の死後を想像して華を咲かせている、それが今の  だ。

死後と処理の関係

私の「死」から始まる人生

もし私が今 死んだとしよう。まず始めに死に方によっては解剖されるかもしれない。これは薬を所持した場合だが。
そして、まわりは悲しみ、とりあえず親は通夜の仕度にとりかかるだろう
それから知人に連絡し、通夜の日取りを伝える。そしてその知人は別の知人へと連絡し・・・これで「私の死」は広まる。

次に、私の身辺整理だ。親以上に「我が親友の方が呼ぶ相手を より選択できるだろう
そして、私の持ち物、部屋。親は、私が自分のモノに触れられるのが嫌いな事を知っているからためらうだろう。だがここは、我が親友の出番だ。

私に関するあらゆるモノの処理は全て親友に任せたい。そして、彼女なりに選択した 大事であろうモノを 私の棺桶に入れて欲しい。きっと彼女ならわかるに違いないと私は確信している。

後は、形見として幾つかのモノを所持してくれればいい。
私の望みは一つ。今私の胸に光っているタグプレートを親友に持っていてもらいたい

通夜には何人くるだろうか。その中にほんとに悲しみ、涙を流してくれる人はいるだろうか。とても知りたい。

私の「」はどれだけの影響を及ぼすのであろうか。
そして あの人間はどうでるだろうか。「自分が原因で私が死んだ」という事を認知するであろうか。その事を考えると死に急ぎたくなる。

そして私の死んだ理由を知る人達は、あの人間にどんな視線をおくるのであろうか。今 私は、その興味で胸が騒いでいるまるで遠足の前の夜の様だ
ワクワクとまでしている。

私の復讐劇はここからが本番なのだ。
私の「」であの人間がこの先どう生きていくのか、どんな人生になるのか、想像するだけで踊りだしたいくらいだ。非常に楽しみである。

私とて、無駄死にはしたくない。どうせなら 確実にあの人間を苦しめるための「」でありたい
    
        今はその事で頭がいっぱいである。

声と理性の関係

声が聞こえてきて・・・

時折聞こえる、「死ね」「切れ」。この指示する声は誰なんだろう。
私の鬱が低空飛行している時に現れる謎の声だ。
それと、私自身が死にたくてカミソリを見つめている時にも聞こえてくる場合もある

鬱鬱していると、「死ね」「死ね」と・・・・・・。
耳の奥、或いは頭に直接に声をかけられているようだ。
これは私自身なのか?それとも何かに呪われてる・・・?

かき消そうとして耳を押さえても聴こえてくる。私を「」へと導いてくれる声だ。私はこのガイダンスにそってカミソリを揺らす事がある。
一人ではできない「自殺」をこの声は手伝ってくれるのだ。

対外はこう。一人でいる→ぼーっとなる→考え事が始まる→突然フラッシュバックに襲われる→体中かきむしりたくなる→気が狂いそうになる→気づけばカミソリを手にしている→声が聞こえてくる→切る

こうなるのである。現に今も切ってしまった。画面を見ていたら長く時間が過ぎていて、結果、こうなるのである。
血が流れる。なんとも言えない安堵感。これはリスカではない。
「死」へ直結するための序章にすぎない

いつになったら私は本気で死ねるのだろう。本気で手首を切り落とす事ができるのだろう。
この他の方法に切り替えたほうがいいのか。
例えば、飛び降り、飛び出し、一瞬にして死ねる方法がいい

        こんな事には必死で頑張るのだ。

親友と私の関係

私の望みを・・・

いつだって傍にいる。言葉を交わさなくとも通じ合える。そんな友達が私にはいる。彼女は私と全くの正反対な人間だ。
人前に出るのが苦手で、人に強く意見を言えない。だが、人一倍芯が強い。そして何気に負けず嫌い。TPOも備え、そしてとても優しい。

人一倍といったが、きっと人より何倍も彼女は強い人間だと思う
外見は、小柄で華奢。顔も小さくぬいぐるみの様な顔つきをしている。
私はそんな彼女の顔をいつも何かしらに例えてからかっている。
彼女は怒って見せるが、冗談なのは百も承知の上と思う

そう。私達にはわりとなんでもアリなのだ。だから気にしている事も平気で口に出してしまう。悪い所も言い合える、そんな仲だ

私は胸を張って彼女を「親友」と言っているが、彼女は違うらしい・・・・
だが理由を聞いて頷けた。「親友といっていいのか自信がない」らしい。
なんとも彼女らしい考えだ。

だから私はいつも言って聞かせる。「私達は親友なのだ。」と。
そして彼女は言う。「私達は心友。」と。始め聞いた時には 驚いた。
うまく言ったものだ、と。だが、実際彼女と私は「心友」だ。

去年の私の誕生日、私は自分にプレゼントを贈った。タグプレートだ。
それもお気に入りのブランドで。ただ欲しくて買ったものではない。
このプレートには 初めから刻印を入れるつもりでいたのだ。
しかも文字は表ではなく、あえて裏に彫ったのだ。刻印のデザインからなにまで店員と話し合い、時間をじっくりかけて、仕上げた私の一つの証だ。

そして今年は、そのプレートに重ねて クロスキーが欲しかった。
重ねて始めて私の中の「意味」が完成するからだ。
そして驚いた事に、我が親友が今年にくれたプレゼントは「キー」だったのだ。

授けてくれたのが心友なうえ 私の欲しがってたモノを彼女がわかっていた事にわたしは感動を覚えた。何とも言いがたい嬉しさだった。
そして 今もそのプレートとキーは私の胸で輝いている。最大の宝だ。

止まらぬ思いと私の関係

いつだって

お腹が痛い。頭が割れそうに痛い。体の節々がきしむ。薬など効かない。
もがいてももがいても この苦しみから解放されない
何故か・・・・。原因はいくつか考えられる。まず ただの体調不良。
次に、薬の副作用。最後は思考回路からくるもの

私は、最後が正解だと思っている。脳が体に大きく影響しているに決まっている。そしてその苦しみがアメーバの様にどんどん増徴してきている。
自分でも制御できない

今の私にはストップの文字がない。一つの事で頭がいっぱいなのだ。
それは「」 単に死にたい訳じゃない。何度も何度も説明しているが、
あの人間の呪縛から逃れられないのだ。

ある友達からメールが入った。「正月は飲みに行きまくったよ。
これを見て貴方は何を思いましたか? 私は少しの静止から我に返った瞬間、「死んでやる」という気持ちが脳裏をよぎった。強く激しく思った

何故かというと、本来なら報告を受けるのではなく、私もその一員だったはずだからだ。なのに私は対人恐怖症や、その他の症状などでまともに外に出れない。そんな事になってなければ私もその場にいて、皆と共に飲んで楽しんでいたはずなのに。

私にはイベントの一つも友達と過ごせなかった。それに引き換え、常についてまわる体調不良の嵐。許せない。私から何もかも奪って許せない。
少しの事でフラッシュバックとして蘇る。あの嘘を疲れた時の事、泣きまねをされた事、胸ぐらをつかみあげられた事、殴られそうになった事、引きずられた事、全てが一瞬にして私の脳裏で走り回る。


テレビを見ても、私のトラウマにかさなったシーンを見てしまうと 途端に気分が悪くなる。お願いだからもう勘弁してほしい。私を呪縛から解放してほしい。 お願いだから・・・・・

この苦しみは耐えられたものじゃない。辛くて辛くてしょうがない。
あの人間をどうにかしてほしい。私の恨みを晴らして欲しい。

恨みとねたみの関係

連なる想い

今は1月はじめ。ウィンタースポーツといえば、スノボーである。
私にも経験くらいある。あの人間に連れていってもらった時だ。
その人間はスノボーが好きで私を連れてってくれていた。

だがここ二年行っていない。あの人間とのズレを感じてからだ。
だが私は行きたい。テレビを見ても羨ましく思うばかり。
あの頃のように白銀の世界へ行き、思いっきり滑って転びたい。

病気になってからはよけいに、できなくなった事が羨ましく感じるものだ
あの人間さえ私を裏切らなければ、今年も楽しくスノボーにいけただろう。

そう思うと、憎い悔しい泣きたい気持ちになる。

あの人間は、行く、もしくは行くのだろうか? きっと行くだろう。
私をこんな目に合わせた事等忘れ、またいつものメンバーで楽しく旅行気分で行くのだろう。悔しい。

とにかく悔しくて狂いそうだ。何故私がこんな目にあってあの人間は平気な顔して遊んでいられるのだろう、と。はらわたが煮えくりかえりそうである。
だが、私にはあの人間を攻撃する力などもう残されてない

誰かあの人間に伝えて欲しい。「あなたは一人の人間を死にまで追い詰めているのだ。」と。そして償って、と。


私は悔しい。憎い。殺してやりたい。私から自由も何もかもを奪って自分は楽しんでいるなんてっ。なんにもなかったようになんて酷すぎる。

    だから私は死んで事の大きさを思い知らせてやるのだ。


だから苦しくて辛いのだ声をあげて泣きたいのだ

涙と水溜りの関係

涙の治療法

私は久しく泣いていない。泣く出来事がないのか、単に涙腺がかたくなったのか。  いや前者ではないか。私は小さい頃こそあまり泣かなかったが、中学からはほんとによく泣く女になった。

そしてここ何年かは、病気以外のことも含め、泣く機会など腐るほどあったはずだ。
げんに泣き通しだった時期もあったが、ここ何ヶ月かは泣いていない。

泣く要素ならばたくさんあるはずなのに・・・・・私は何故泣かない??
涙が枯れたのか?まだ早いだろう。確かに涙が枯れるほど泣いてきた
これから何年も分は流していないはずだ。

泣きたくなるときだってあったはず。だが泣けなくなった。
私の目の奥にある涙腺という水溜りは、ドロドロしていそうな気がする。

病気の前後にあまりに泣きすぎたかうまく泣けないのだ
悲しい事だってある。泣きはらしたい夜もある。その場で声をあげて泣きたいときだってある。

私だって泣いて少しでもすっきりできるのならおお泣きしたいのだ。
だから辛い。辛い事があっても泣けない、誰にもすがりつけない、
ただ、ひたすらに我慢してきた。きっとそのつけが回ってきたのだろう。

水溜りに水はたまってないのか?そろそろ溢れてしまわないのか?

   私は泣けない病にもとりつかれてる気がする。