最近古事記現代語訳を読むのが楽しいんです。神代の部分が圧倒的に面白いですね。神社巡りを始めてからは、その神社のご祭神がどういう神様なのか、凄く気になるようになりました。今まで記紀を読むことがなかったので(不勉強で)、子供のころに昔話として聞いたいくつかの話が、今更つながってきてワクワクしながら読んでます。古事記に登場する神々は、実に生き生きと眼前に現れてくるのです。

 

古事記は712年に完成した書だというのに、現代でもワクワクできるなんて、1300年の時空を飛び越えたようで感動を覚えます。物語として極上のエンターテイメント作品と思います。

 

日本神話に出てくる神様って、凄く人間的でいいですね。なにしろ日本には八百万(ヤオヨロズ)もの神様がいらっしゃるのですから、当然個性的な神が多いわけですね。まあ、八百万というのはとても多いことの例えですが。

 

古事記に登場する神や人の中で、特に須佐之男命(スサノオノミコト) と倭建命(ヤマトタケルノミコト)は個性強烈・勇猛で、私が大好きな英雄です。この二柱は(神様や貴人は”柱”と数えます)、時代を超えて現在の熱田神宮のご神体ともいえる草薙剣(くさなぎのつるぎ)という共通点があります。また、両者ともに前半は荒々しい乱暴者として描かれている点も似ていますね。最初は須佐之男命のお話。後日、倭建命まつわるお話、それから大国主命のお話も書こうと思います。

 

スサノオノミコトは日本書紀では素戔嗚尊など、古事記では建速須佐之男命などと表記されます。ここでは須佐之男命と表記していきます。神社巡りを始めた頃、須佐之男命=乱暴な神様と思っていた私は、なぜこんなに多くの神社で須佐之男命がご祭神として祀られているのか不思議だったのです。ですが、古事記を読むにつれ、高天原を追放されてからは、まるで別人格の英雄だと知りました。高天原で天照大御神と占い勝負をして、その後狼藉を働くという場面では、ヤンチャと言うにはあまりにも暴虐。天から降りて、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治をしてからは英雄ですね。

 

これ同じ人(神)?って何度も思いましたびっくり でも一貫性がなかろうが何かの比喩であろうが、だからこそ神話の登場人物として魅力的なんですね。だって神様といえども欠点や失敗があれば親しみも湧くというものです照れ

 

<国生みの神、伊耶那岐命と伊耶那美命>

 

須佐之男命のお父君は伊耶那岐命です。伊耶那岐命(イザナギノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)は、神世七代の最後に現れた二柱で、日本の島々や神々を作った国生みの神です。伊耶那岐命は、妻である伊耶那美命火の神を出産し命を落としてしまった後、恋しくてならず、死者の国である黄泉の国に妻を訪ねて行きます。やっとのことで伊耶那美命に会えたので、地上の国に戻ってきてほしいと懇願する。黄泉の国の食べ物を食べてしまった伊耶那美命は、本来なら地上に戻ることはできません。ですが伊耶那美命は、黄泉の国の神に交渉すると言ってくれた。

 

交渉が終わるまで「私の姿を決して見てはいけない」と言われているのに、伊耶那岐命は御殿の中を探して妻の姿を覗き見てしまった。の体には蛆虫が湧いていて、体には8つもの雷がいました。伊耶那は恐ろしくなって逃げだします。逃げだした伊耶那を見て、伊耶那は軍勢まで使って追いかけます。

 

黄泉の国から地上の国に出る場所に坂があり、そこで伊耶那は桃を投げたところ、軍勢は退きましたが、今度は伊耶那が自分で追いかけてきました。最後には巨岩を挟んで夫は妻に離縁を言い渡します。「それならばあなたの国の人間を1日千人殺しましょう」という妻に、伊耶那岐命は「そんなことをするならば、私は1日に千五百人の子を生ませよう」という凄まじいやりとりがあります。凄いですね、創世の神!

 

それにしても「見てはいけない」と言われると、必ず見てしまうのはなぜでしょうね。そこは人間も神も同じなんですね… また、「見てはいけない」ものを見てしまったばかりに、悲劇的な結末を迎えるのは日本の昔話のお約束なのでしょうかね。

 

<須佐之男命は、伊耶那岐命が鼻を洗って現れた>

 

伊耶那岐命が黄泉の国から命からがら逃げてきて、筑紫の日向の阿波岐原で、汚れてしまった体を綺麗にするために禊をしました。杖や衣服、冠など投げ捨てる度に、神が生まれました。その禊の最後に鼻から生まれたのが須佐之男命 (=建速須佐之男命)です。

 

須佐之男命 の前に、左目から天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目から月読命(ツクヨミノミコト)が生まれているので、須佐之男命は、つまり天照大御神の弟です。禊の最後に、三柱の尊い神を得たことを、伊耶那岐命は大変喜ばれたそうです。ちなみにこの時の禊の様子を詞にしたのが「禊祓(みそぎのはらい)」で、今でも神社で読まれています。

 

<須佐之男命、追放される>

 

伊耶那岐命は、天照大御神に高天原の支配を、月読命には夜の国の支配を、須佐之男命には海原の支配を任せました。ところが須佐之男命は泣いてばかりで、一向に海原の支配に出かけない。あまりに長い間泣き続きているので、顎髭は胸まで伸びてしまった。泣いてばかりいるので、至る所で悪神と悪霊の禍いが起こった。そこで泣いてばかりの理由を聞くと「母親(=伊耶那美命)の住む根の堅州国にいきたい」と言う。激怒した伊耶那岐命は、須佐之男命を追放しました。

 

顎髭が伸び放題の大の男が毎日泣いてばかりというのは、想像するのも怖い感じですね。それに伊耶那美命は母ではないでしょう?と言いたいところですが、そこは少年の心です。日本書紀本文では、スサノオノミコトの母はイザナミノミコトになっています。

 

須佐之男命は根の国に旅立つ前に、姉君である天照大御神がおわす高天の原に挨拶に行きました。彼が高天の原に近づくにつれて大地は揺れ動き、轟音を響かせる。天照大御神は、須佐之男命が高天の原を奪いに来たのではないかと訝しがりました。天照大御神は角髪(みずら)を結って男装し、完全武装した上で、須佐之男命に「なぜここに来たのか」と問います。

 

謀反の心はなく、根の国に旅立つ前に挨拶に来ただけだと主張する須佐之男命は、誓約(うけい=占いの一種で)で無実を晴らし、決着をつけようと提案します。

 

さて、今回は思いがけず長くなってしまいました真顔 次回に続きますにやり