年末。
冬休み。
昨年から少し要領の違う、いや、仮面を脱ぎ捨てたのか、就活のすっぱりした速度。
まったく、ついていけなくなりそうなのはこっちだよ、その精神に。
と立場忘れてイラっと来る。
企業様様、運営サイト様様、何やってるんだよ、、とものの本質とは違う部分をわかってはいながら、イラっと来る。
この、いらっ、が就活生に伝わらないように、平常心平常心、彼らはもっと、悲しい。傷んでる。
ああ、私も悲しい冬休み。
年末。
冬休み。
昨年から少し要領の違う、いや、仮面を脱ぎ捨てたのか、就活のすっぱりした速度。
まったく、ついていけなくなりそうなのはこっちだよ、その精神に。
と立場忘れてイラっと来る。
企業様様、運営サイト様様、何やってるんだよ、、とものの本質とは違う部分をわかってはいながら、イラっと来る。
この、いらっ、が就活生に伝わらないように、平常心平常心、彼らはもっと、悲しい。傷んでる。
ああ、私も悲しい冬休み。
今年は卒業式も入学式もひそやかだった。
それでもコロナ真っただ中で、何もできなかった昨年よりは送り出し、迎え入れる、
そんな一つの心の区切りの場を作れたのはよかったな。
おととしまでは、式の度に当事者よりも関係者家族の数のほうが多いと思ったほどの
賑わい。
もう日常の風景と何も驚きませんが。
はるか10数年前、、、
初めてその光景を見たときは思わず後ずさりするくらい位びっくりして、センターの
先輩に思わず訪ねてしまった。
”イマドキの大学って、入学式や卒業式に親どころか、じいちゃんばあちゃんまで
来ちゃうんですか????”
わ、わたしは、すでに旧人類との自覚はある。あるが、
大学生の入学卒業式に親?来るか?
と。
これがイマドキノ風景???。
私が学生当事者の時、来る、なんて言われたらはずかしくて逃げ回っただろうなー
などと考えながら。ま、仕事忙しい昭和の親だから、まず、その心配はない。
だけど、いま、ちょっぴりわかる。いや、すごくわかる。
イマドキノ親御さん。
そしてちょっぴり羨ましい。
その素直な行動力に。
いまのうちだから、たくさん一緒に祝ってね。
そっと、後ろ姿にいつからか呟くようになった。
私、子供が自立して巣立っていった日、駅のホームで新幹線が見えなくなった時、
涙をぽろぽろこぼしました。
料理を作るたび、これを食べさせたい、あれも作ってやりたい、と
キッチンのシンクに涙を落としました。
本当はもっともっとしてあげたいことがたくさんあった。
もっともっとそばにいたかった。
仕事して、舞台をやって、はたから見たら自立心旺盛な私の姿、
信じられないでしょうが、そんなもんだ。
思い残すことなく、自分の人生を切り開いてほしい、
そう願って、生きてきた私も。
子にもいつもそれを願って。
二人で頑張ってきたんだ。
悲しい。とか、
さみしい、とか、そんなことを言えば、だいたい返ってくる言葉はわかっているから
だから言えない。だから言わない。
けど、叫んでる。
もっと一緒にいたかった、さみしいよ____!!!!!。
忘れないで、ここですごした幼い日々を。
覚えておいて記憶の隅に、木漏れ日の公園や追いかけっこした石段を。
年老いないとわからなかった、私が家を出た若いあの日、
いつまでもいつまでも門の前にたたずんでいた母の胸の内。
思いやることもできぬまま。
おかあさん。もうあえないけど、わたしわすれないよ。
何年も何年も何年も前、
はるか彼方に行ってしまった、今日、
私が学生、という身分が終わった日。
ウイルスなどなくて、みんなで地下のパヴ(死語か・日本では)にとんでって、
シャンパンにビールを開けた、春浅い・卒業式の夕。
別れの悲しみより、明日からの新しい日々にワクワクしていた日。
あの日の悲しみはいつも新しいものも一緒に連れてきてくれた。
痛手と共に未来という暗闇にも似た胸が閉められる期待感。
今はわかれというと、哀しみしか残らない。
学生を終えた日、
まだ学生を続けるひとを残して世の中に出る私にとって
それが一番の悲しみだったのかもしれない。