この週末、母に会いました。

 

少し前に会った時に、ブログを書いていることを話したのですが、同時に今の仕事を辞めて新しいこと始めたいんだよ、と話しをしました。

 

その時は何をしたいとか細かな話はしなかったので、きっと何するのか興味があったのでしょう。その件について話をしてきました。



母 「新しいことって、何やりたいの?」

 

私 「日本茶インストラクターの資格を取りたいの」

 

母 「それ、どういうものなの?」

 

私 「茶道とは違うんだけど、日本茶の色々を教えたいの。学校で子供たちにお茶の淹れ方を教えて、子供たちが家でお父さんお母さんのために淹れたり、急須を持っていない人たちに日本茶の良さを伝えて、日常生活に日本茶を取り入れるようになったり。あとは、そういう講座で知り合った人と人を繋いだりして、輪を作ったりね。そういうことをしてみたいんだ。」

 

母 「そう。なんか、変わったね。」 ←こんな表現ではなかったかも

 

 

そんな会話でした。

 

以前の母だったら反対したかもしれません。

 

せっかく良い企業に入ったのだから、そこでずっと働く方が安泰よ、とかね。そう言ったと思うのです。

 

でも、今回はそんな事言いませんでした。意外。でもちょっと納得でした。

 

というのも、父の生き様をそばで見てきた母だから。

 

一昨年60代という若さで亡くなった父は、結構好き勝手やってました。

 

私が子供の頃はそうではなかったと記憶しているのですが、50代になってから、興味の赴くままに行動していた印象です。

 

ネットで共通の趣味の友達を見つけてリアルに会ったり、突然高額なモノをどーんと買ったり。

 

そんな父の行動が家族の危機を招いた事もありましたが、

 

最終的には許容の範囲で、常識の範囲でやりたい事をやっていたと思います。

 

 

 

父の人生はちょっと短めだったかもしれないけど、やりたい事をやって生きた父は、満足のいく人生を送れたのかな、と思います。

 

だから母は、やりたい事を見つけた私に寛容だったのかな、と私はそう解釈しています。

 

 

 

母と話していて自分自身に驚いたのは、私ってそういう事をやりたかったんだってこと。

 

なんとなくぼや~っとやりたい事を考えていましたが、

 

アレしたい、コレしたいが自分の口から次から次へと出てきて、

 

話すことで自分の思想が整理できたように思いました。

 

もう少ししたら、紙に書きだしてみようかな。