はちみつが混ざるように温めたお湯は
レモン一個と同じくらいの重さになるように作る
はちみつはそのお湯と同じくらいの重さを入れていいはずだ
てきとうな調整をしてみるのもいいかもだ
レモンを半分に切って
フォークを使ったりしてから
中身から液を取り出す
種を取っておくと良いかもだ
種が入ったら取り除きながら
液を出すのを繰り返す
はちみつの入ったお湯とその液が混ざればできあがり
飲み物にするにはそれでまだちがうかもなら
水を混ぜて飲むといいかもだ
オレは子供の頃
どこかのマンションで覚えた時は
自分では全部できなかったり
まだ不完全に覚えてたかもだが
それぞれのアイテムが無ければ説明できなかったりしつつ
固有名詞や動詞を理解していたかもだ
だが配慮として隠される部分や
与えるべきでない物として扱われる事で
記憶のあるどこかの奥底に置かれた事となったのだろうか
その後復習した時には
退化のような進化をして
これをああしてこうしてこう
なんて言えた気がする
それはその物事を認識して言えた時や
断片的な予測によっての事などがあったとして
その内容に対する事は
成長と比例するわけでは無かったはずだ
文章だろうが音声だろうが動きがあろうが
伝わることもあれば伝わらないこともある
それぞれにわかることがあれば
それぞれにやりかたができたり
できあがるなにかがあったりする
そんなのをどう味わうか
それもそれぞれかもだ
なんて文章書きながら
思い出すことがまだあった
お湯やはちみつが色々あるってのも
最初はわかったけど
わからなくなった時もあった
その経過はまだ学校とかに入る以前の頃だったかと思う
あの頃は身長はだいたい小さいほうだったっけな
学校入ってから年を経るごとに
だんだんと身長が高い方になったりもしたけど
最近は身長高い人が多いから普通なくらいかな
整理されてみれば
ずいぶんと膨大なことを
まとめて覚えていられるんだと感じる
記憶ってのは不思議だ
それもそうかもだが
まだ探さなきゃなことがあるかもな
何と何度どう巡り合ってもいいはずだ