2015年8月30日(日)大安
今日は、私の誕生日です
。私が世に生を受けた、感謝すべき日です。人は生きていると、つらいことも多いけれど、楽しいこともいっぱいある
。つらいことの方が忘れずらいから、楽しいことが薄れそうだけど、やっぱり生きていることって、楽しいことの方が、つらいことよりも何十倍も心に充満する
。そんな楽しい人生を与えてくれた、父と母に感謝します
。
父はしばらく前より、床に臥せている
。でも、今、私は、父から、精一杯生きるってことを改めて教えてもらっているような気がする
。ので、今の私は、自分の人生を中途半端にあきらめたくないと思っている。自分の人生において、一番幸せな時は、私の周りにいる人たちが幸せそうに笑っているときだ
。そこには、何の下心もない。そんな瞬間こそ、心底私が生きている実感を感じることができるのだ
。
最近は、若い人たちの教育に携わっている
。そんな人たちは、若いからこそいろんな悩みを抱えている。そして、その悩みは、私のような年代からはちっぽけな悩みに聞こえるときもある
。が、彼ら彼女らにとっては、そこでいうちっぽけに感じるような悩みは、生きる希望を失うような感じを持ってしまうほどの大きな悩みでさえある時がある
。しかし、それは、当の本人にならないとわからない
。ましてや、歳を重ねた私にとっては、時にその判断を誤るときがある。(ちっぽけな悩みかと思いきや、本人にとっては重大な悩みだったりするとかだ。)考えてみたら、そんなことは当たり前である。たまに私がやることに、その当時の自分の感情に引き戻して考えてみることをしている。すると、それは、本人にとっては重大な悩みだったりすることが感じることができることがある
。
私の贅沢な望みは、できれば、多くの人が幸せを感じられるような、そんなことをしたいと思っている
。それが、私の人生の使命だと思って、ひとりコツコツと努力している(つもり。
。。)。若かりし頃は、不本意なことも多かった。が、多少歳を重ね、若かりし頃よりは少しその術を知ったつもりだ
。が、歳を重ねれば重ねるほど、自分の未熟さも同時に痛感させられる。やはり、まだまだ修行は続くのだろう
。でも、その修行さえ、楽しんで生きたいと思う。
さて、誕生日にこんなことを示すのは、当然のことながら、この一年間の修行をどのように過ごしていくかを少し考えてみるためだ。(途中変わるかもしれないが。
)とりあえず、もう少し、社会に影響を与えれるような実力をつけたいと思う。昨年までに、学会の理事になったり、あるNPOの副理事長になったりしたりした。大学の教員にもなった。これからのこの歳には、さらに、実力をつけていきたいと思う
。できれば、大学の教員も複数できるような状態を作れればと思っている
。もっと地域に出ていきたいとも思っている。そのためには、学位も取得したいと思っている。まだまだ、修行の途中ですが、楽しく生きていきたいと、思うのでした。
。。
今日は、私の誕生日です
。私が世に生を受けた、感謝すべき日です。人は生きていると、つらいことも多いけれど、楽しいこともいっぱいある
。つらいことの方が忘れずらいから、楽しいことが薄れそうだけど、やっぱり生きていることって、楽しいことの方が、つらいことよりも何十倍も心に充満する
。そんな楽しい人生を与えてくれた、父と母に感謝します
。父はしばらく前より、床に臥せている
。でも、今、私は、父から、精一杯生きるってことを改めて教えてもらっているような気がする
。ので、今の私は、自分の人生を中途半端にあきらめたくないと思っている。自分の人生において、一番幸せな時は、私の周りにいる人たちが幸せそうに笑っているときだ
。そこには、何の下心もない。そんな瞬間こそ、心底私が生きている実感を感じることができるのだ
。最近は、若い人たちの教育に携わっている
。そんな人たちは、若いからこそいろんな悩みを抱えている。そして、その悩みは、私のような年代からはちっぽけな悩みに聞こえるときもある
。が、彼ら彼女らにとっては、そこでいうちっぽけに感じるような悩みは、生きる希望を失うような感じを持ってしまうほどの大きな悩みでさえある時がある
。しかし、それは、当の本人にならないとわからない
。ましてや、歳を重ねた私にとっては、時にその判断を誤るときがある。(ちっぽけな悩みかと思いきや、本人にとっては重大な悩みだったりするとかだ。)考えてみたら、そんなことは当たり前である。たまに私がやることに、その当時の自分の感情に引き戻して考えてみることをしている。すると、それは、本人にとっては重大な悩みだったりすることが感じることができることがある
。私の贅沢な望みは、できれば、多くの人が幸せを感じられるような、そんなことをしたいと思っている
。それが、私の人生の使命だと思って、ひとりコツコツと努力している(つもり。
。。)。若かりし頃は、不本意なことも多かった。が、多少歳を重ね、若かりし頃よりは少しその術を知ったつもりだ
。が、歳を重ねれば重ねるほど、自分の未熟さも同時に痛感させられる。やはり、まだまだ修行は続くのだろう
。でも、その修行さえ、楽しんで生きたいと思う。さて、誕生日にこんなことを示すのは、当然のことながら、この一年間の修行をどのように過ごしていくかを少し考えてみるためだ。(途中変わるかもしれないが。
)とりあえず、もう少し、社会に影響を与えれるような実力をつけたいと思う。昨年までに、学会の理事になったり、あるNPOの副理事長になったりしたりした。大学の教員にもなった。これからのこの歳には、さらに、実力をつけていきたいと思う
。できれば、大学の教員も複数できるような状態を作れればと思っている
。もっと地域に出ていきたいとも思っている。そのためには、学位も取得したいと思っている。まだまだ、修行の途中ですが、楽しく生きていきたいと、思うのでした。
。。
との思いの元、自分の備忘録として、今思っていることを記したいと思います
、、あしからず。)