最近ひょんなことから中間市へ行くことになった。県南からだと、福岡を過ぎ鞍手インターチェンジを降りることになる。そこから商店街を抜け、クライアントである企業までまた走る。先日、カタログ用のロケハンの為に、福岡から福津、そこから中間に入り、I.C.〜クライアントの企業までの間だけでなく、中間周辺をうろうろすることになった。すると、いつも通る閑散とした商店街だけでない、広いバイパスや大手のショッピングモール、新しい行政施設なんかが立ち並ぶエリアがあることを知ることになった。
ここもなんだ、と思った。
久留米の一番街〜あけぼの商店街、二番街と人のいなくなった通り。子どもの頃は、沢山の人が溢れ、その中を映画館へ行ったり、西鉄からショッパーズ、井筒屋へ両親に連れて行ってもらっていた。ちょっとした都会だった。
また八女にしても、土橋に4階建ての寿屋があり、日の出屋をはじめいくつかのスーパー、また個人商店も沢山営業していた。時計が欲しかったら貴金属店があり、肉屋、魚屋といったお店も、個人商店の延長にあるようなスーパーと一定共存していたのだと思う。今仕事をしている大牟田もそう。少子高齢化が進み、商店街はシャッターが閉まっている店舗が目立つ。
そんな中、人が集中するのが大型のショッピングモール。イオンやゆめタウンがそれぞれの町に作られ、とにかく凄い集客を誇っている。特に久留米のゆめタウンは週末ともなると、巨大な駐車場が車で満車になる。八女や大牟田、中間も、それぞれのショッピングモール周辺は開発され、沢山の車や人で賑わうことになった。
ここ数年、少子高齢化による地域課題や人と人とのコミュニケーション不足にまつわる仕事も増えた。そのことと、今回の中間で見た光景、他地域で見てきた光景が重なり、思ったのである。
大型のショッピングモールや大規模なチェーン・フランチャイズ店が闊歩することは、果たして地域にとって幸せなことなのか。
はっきり言って、色んな商業施設ができた時期はもちろんのこと、さんざん言われてきたことであるのは分かっている。でも、いざ数えきれない個人商店のシャッターが閉まり、後継に後を託せなくなったのがはっきりした今、改めて思うのである。そして、地域のコミュニケーションは圧倒的に縮小していった。
今も行く精肉店は顔見知りだ。居酒屋もそう。でも沢山の、しかも圧倒的に安価な商品が並ぶドラッグストアや商業施設の店員と交わす言葉はない。
シャッターの閉まった通りに、若者が新しい店を構えたり、ニッチなサービスを始める事例も少しずつだがある。圧倒的なショッピングモールのパワーの前に、ゲリラ的な(?)手法などが逆に面白い、そしてニーズに繋がるということもあると思う。しかし地域経済としての力は、1980年代と比べるとどうしても小さいものでしかない。
これが時代の流れではある。
土橋の寿屋が解体される時、写真を撮りに行った。東側に面したエスカレーターから眺める町が好きだった。

