この日記を書き始めたのは2022年9月。
母が膵臓癌の終末期とわかってからでした。
そんな母も1年間の闘病を終えて虹の橋を渡って行きました。
アメリカに嫁いだ私はなかなか母の闘病に全力で携われませんでしたが、最期の1ヶ月は日本で思い切り親孝行できました。
2023年6月末、もう病院でできる治療がなくなり自宅にて緩和ケアに移行した母の闘病。
退院前に病院内で転んで股関節を骨折してしまい(腹水が溜まって自分でバランスを保てなかった)寝たきりになってしまい24時間介護が必要になった母。
私はすぐ仕事の調整や主人と家のことの調整を済ませて日本に帰国させてもらいました。
自宅での緩和ケア・介護は不安だらけで、でも病院にいては誰にも面会もできない状況。
主治医からもあと1〜2ヶ月でしょうと言われていたので、家族で相談して家に連れて帰ることにしました。
ケアマネの手配、訪問看護、訪問医の手配、介護ベッドなどの手配等を早急にする必要がありましたが、全て病院の看護師さん(退院〜自宅療養までサポートしてくれる方)が手配してくださり、右も左もわからなかった私たちは本当に助かりました。
退院時も病院からドクターカーを手配していただき、救命救急士3名の方と病棟担当の看護師さんが母を3階の自宅まで連れてきてくださいました。
そこからは毎日訪問看護師さんが訪問してくださり、オムツ交換の手順を1から教えてくださり、介護未経験の私たちが母の面倒を見れるように助けてくださいました。
週に1回は訪問入浴も来てくださって、簡易バスタブでお風呂につかれて母はとても嬉しそうでした。
7月末日、母の容態が急変、訪問看護師に夜緊急で訪問してもらいましたが、せん妄の症状が出て意思疎通ができなくなった母。
翌日には酸素濃度が76%に下がり、意識不明となりました。
訪問医の先生が来てくださり、血圧も低下しているので何があってもおかしくない状況だと言われました。
そこから5日間、家族で交代で24時間寝ずに母のそばに付き添い、午前3時半に父が付き添い交代に来た時にスーッと母は息を引き取りました。
きっと父が起きてくるのを待っていたんだと思います。
その日は台風で暴風警報が発令されていましたが、訪問看護師さん、訪問医も暴風の中駆けつけてくださりました。
エンジェルケアは5年生の孫娘がおばあちゃんに化粧したいと言うことで、看護師さんが手伝ってくれて綺麗にしてくださいました。
台風の影響で葬祭場の安置室が空かず、亡くなってからも5日間は家で過ごした母。
家族もそれぞれ時間をかけて母にお別れができた時間となりました。
母が亡くなって2ヶ月、49日が終わって私はアメリカに戻ってきました。
まだまだ母がいなくなった実感が湧かないときもありますが、少しずつ受け入れていければいいかなと思います。
闘病中の皆様、ご家族の皆様、辛い時もあると思いますがガンに負けないでください。
精一杯生きてください。
これで、このブログの更新は最後になります。
今までありがとうございました。