こんにちわ。α STYLE フォトグラファーのshimobe です。
先月、突然のブログ閉鎖からようやく先日11月18日に新たにリニューアルというカタチで復帰できました。
復帰までの間、私を支えて頂いた方々にまずは感謝と御礼を申し上げます。
リニューアルするということでブログのスタイルもリニューアルしようとFBページやmixiとは違う『個性』をココで披露したいと思っています。
私の日々感じていることを中心にコラムにして、連載していきたいと思いますのでよろしくお願いします♪
今日は日々撮影で大事にしていることをテーマに綴りたいと思います。
撮影の時にいつも心がけていることに『被写体の『光彩(こうさい)』をどこまで伝えきるか?
ということをいつも自身に問いかけて撮影に臨んでいます。
よく写真撮影で『アングル』や『絞りなどの設定』、『機材の選択』とか言うのを撮影セミナーでよく問い合わせられます。
私はそんな問いかけに『あなたの眼でその撮りたい被写体はどんな輝きと色を発して、何を訴えてますか?』と投げ返します。
私が初めて一眼レフのカメラの使い方を教えてくれた写真家の先生が同じことを言われ、私も始めは不意打ちをくらったような顔をしていたなと笑われたのを思い出します。(笑)
結論から言うと、
『写真の最終的な結果は撮影者がどう見えてるか?』
が大事だと言うことです。
撮影者が被写体の『光彩』をどのように感じているかで、すべては決まるということです。
そのことに対して結果を出す機材とマンツーマンで寄り添って、機材に自分が感じた『光彩』を出してもらう。
要は『写真撮影に対する普段からの自身の取り組みは何だったのですか?』を常に他の側面からも自身を鍛えなさい。と言うことです。
写真は撮影者の心の投影であり、
被写体を借りて写し出された、
自身の生命の姿といってよい。※
かの人間哲学の大指導者でもある世界桂冠詩人はこう言われています。
だから、よく言われる
『●●だから、カメラはこれでないと…』とか
『●●にはこのレンズ』とか
『●●の設定』とか
言うのは私にとって二の次、いや論外なハナシです。
むしろ、機材に対して信頼や感謝の気持ちがないから、そんな写真にしかならないのです。
写真は機材で決まらない。
『写真』は自分自身の『哲学の絵』なんだ。
そんなことを『光彩(こうさい)』という言葉に変えて、私が従師した諸先輩の多くがそれについて、厳しく指導して頂いたおかげで、私自身が撮影の本義を持つことができました。
この『光彩』を伝えるために日々、撮影以外で大事なことがあるのではないかな?
と実践していることがあります。
それはとてもカンタン。
『心から『ありがとう』と言えるようになること』
昨年、息子のKIYOと撮影して、彼の姿を観て『これじゃ、どう見てもアイツの写真より上行けないなぁ…』と感じたことがありました。
KIYOが撮影しようとしていた被写体に近づいてきた人がとっさに気付いて止まりました。
撮影をした直後にKIYOがその人に『どうも、ありがとうございました』と言って深々と頭を下げてました。
その時に撮影していた写真がコレです。
普通に見たら、ただのイルミネーション写真です。
でも、彼が伝えたい事はシンプルに映し出されているんじゃないかと感じます。
当時7歳の彼はカメラの設定なんてほとんど知識で持ってません。
見たままの事を必死に捉えようと、手持ちで撮影したものです。
色に関しては、驚くほどドンピシャに表現されています。
『どんな写真撮ったの?』と聴かれ、これを影響モニターで見せてました。
その方はとても驚き、喜んでくれてました。
初対面の人の心まで掴む、その息子の『謙虚な』行いが写真にすべて写し出されるのだなと。
そんな『心の光彩』を撮ることのできる写真家になることが、私たちの『使命』でないか?
と感じ日々精進しております。
※引用文献『池田大作 名言100選』(中央公論新社)より