テレビはつけるんです。つけるし、見るけど全然観ない。一番よく観る番組はなに?って質問されたら、私が一番よく観てるのは街の情報カメラが設置されているのを順番に替わって映すチャンネルです。としか言えない。

駅前のカメラだったり、川のカメラだったり、国道のカメラだったりして心がしんどい時に観てると落ち着きます。

今日は雨で川の水位が多いなぁとか電車が駅に入っていったなぁとか夜のここからの夜景はいつも綺麗だなぁとか。

 

39108は発売された時にもきいていたけど、私が39歳付近になった時にちゃんと聴けばいいや〜と思っていました。

でも、39歳や四十路を前にして一般的な幸せがなんなのかわからなくなってきました。今、自分が生きてきて一番みじめで一番むなしい。

うつというよりも、みじめでとてもむなしい。生きててこんなに自分が惨めになるなんて。生きてる自分にやーい、惨め惨め〜って一番自分が思うなんて。

あー生きるのやめたい。生きるの嫌になってきちゃった、もう。

でも、ここで生きるのやめたいと死にたいを一緒にされては困るなぁと感じています。

そして、生きるのやめたいと死にたいを一緒くたにする人間が身近にいるのも事実です。

 

今、本当にみじめでむなしい。こんなに自分がみじめに感じるなんて、生きていると本当に色々あってすごく嫌だ。

もう、気付いたら気付いたら、四十路が近い。自分が年をとってああ、もう若くはないなーって思って感じているのに、年齢にすると40っていう響きに一番自分が驚いている。

ああもう、おばさんなんだわ、おばさんって言われてもおかしくない年齢なんだわって思うと自分がそんな年齢まで生きてこれたことに感動する。

39歳も40歳も結局、よそ様にしたらただのおばさん年齢でたいして変わらない。私も正直、もう誕生日がきて何か面倒な時は40歳でそそくさとすませて逃げてしまおうと思ってる。

でも、今が一番みじめでむなしい。生きているのが一番むなしい。

 

私の好きな街の情報カメラ。たまに偶然なのにそこにドラマがあったりする。情報カメラの中での交差点で交通事故が起きててパトカーが止まってたりする。

今年の夏のお盆の時期だったと思う。駅前のカメラに車で迎えにきたのであろう子どもとそのお母さん。そして駅からキャリーケースを押して車に手を振ってる子どもの父親であろうお父さん。

コロナウィルスの影響で久しぶりに帰ってこれたんだろうなぁ。お父さんであろう男性がおーいってキャリーケースをがらがら引いてる姿。久しぶりのお父さんとの再会に「おかえりなさーい」って声が今にも聞こえて駆けていきそうな子。

 

偶然の一瞬。次の情報カメラにかわって、一回りする頃には迎えにきていた車の影も形もないほんのひととき。あれを今年の夏みたのに、秋になって幸せが分からなくなった。全然幸せが何か答えられない。