華佗(かだ)
人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます。
華佗ですが、薬学・鍼灸(しんきゅう)に非凡な才能を持つ伝説的な名医と知られた人物です。
麻酔を最初に発見したのは、華佗と言われており麻酔薬を使って切開手術を行ったとされ、民衆からは「神医」と
呼ばれました。
評判を聞いた曹操 の典医となり、持病であった頭痛の治療にあたってましたが、重く用いられなかったこともあり
医書を取りにいくといったきり二度と曹操のもとに戻ってこようとしなかったため、曹操の怒りを買い投獄され拷問
の末に殺されてしまいます。
その後、曹操は名医で頭痛を治せる唯一の人物であった華佗を殺してしまったこと、またこのことにより曹沖 が
華佗の死を知り嘆きのあまり死んだことを後々まで後悔したと言われています。
『三国志演義』では、呉の周泰の重傷を治療したり、毒矢により傷を受けた関羽の傷を治療したりしています。
関羽の治療の際、ひじの骨を削って毒を治療してますが関羽は酒を飲みながら碁を打っている描写があります。
その後、頭痛に苦しむ曹操に召しだされ華佗は、麻酔薬を飲んで脳を切り開いて病巣を取り除く治療法を告げ
ますが、曹操は脳を切り開くとは殺すつもりかと激怒します。
それに対し、華佗は関羽がひじの骨を削られても動じなかったことを引き合いに出しますが、曹操はひじを切り
開くことはできても脳を切り開くことなどできるものか、それに関羽に通じるであろう者だから殺すつもりだなと
さらに激怒し、華佗を投獄して拷問の末殺してしまいます。
華佗は、曹操に処刑される直前に、自らの医学の知識を世の人に残そうとして「青嚢書(せいかいしょ)」と
言われる医学書を毎日華佗の世話をしていた獄史に渡しますが、その妻が医術を極めても、結局は獄死する
ので何もならないと、夫の身を案じて焼き捨ててしまいます。
そして、わずかに残った箇所は、鶏や豚の去勢術などだったという話があります。