黎明前(夜明け前)

 




昨日の朝

あまりにきれいだったのであわてて撮りました
朝のグダグダ(*_*)BLOG



空気も澄んで気持ちよかった

風の冷たさが妙に気持ちよくて






こういうきれいな夜明けって

最近あまり見ていないからか



静や動を考えさせられる神秘的な時間だった。


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眼鏡をかけずに写してしまって

設定と

レンズそのものをミスしてしまいました




後から眼鏡をかけてない自分に気付いてしまったバカです

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でも


そんなミスをごまかせるほどの

美しい夜明けでした


















ご無沙汰しております

先日はブログにコメントや温かいメッセージをくださり
本当にありがとうございました

母の急逝で10月31日早朝に九州へ行きました
(母は再婚してから日本にずっと住んでいました)

突然だったのでボンタも連れて行きました。
こぢくんが亡くなってから1年しか経ってないのに
今度は母親がこんなに早く旅立つなんて思ってもいませんでした

2年前に悪性リンパ腫と言われて検査をしたのち
成人T細胞白血病という病気だと告げられた
成人T細胞白血病について

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BA%BAT%E7%B4%B0%E8%83%9E%E7%99%BD%E8%A1%80%E7%97%85
中国人にはまれなケースだそうです
九州地方での感染者が多い病気だそうです
母乳感染から赤ちゃんに母乳を飲ませられないとか心配されるとおもいます
下記のURLはご参考にしてください

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/feature/article4/20100308/20100308_0001.shtml
心配な方は直接医師にお尋ね下さい

抗がん剤治療は辛かったようですが
それでも驚くほどの回復を見せ退院し
その後はとても元気になり皆で安心しておりました。


11月か12月には引っ越ししたマンションを見に来ると楽しみにしているようでした
見せてあげたかったし女優さんのポートレートのような写真を撮ってあげると約束していたのにそれもかなえてあげられなかった 元気な時にこちらから行くべきだった


元気になりすぎて母も無理をしすぎたんだと思います
だけど病気に前向きで明るい母は
今回の再入院でもまた抗がん剤治療をしたらすぐに帰ってこれるという
期待があったと思います

数か月前から風邪でもないけど変な咳だけが続きとても苦しがっていました
私も今年、年が明けてからすぐに肺炎になり酷い思いをしましたので
すぐに病院に言ってと妹も弟も私も言ってたのですがなかなかいくのを拒んでいました
きっと自分にしかわからない何かを感じて拒否してたのかもしれません。
再発してからの抗がん剤治療は今回3日連続で行いました
副作用も前より激しくあっという間に動けなくなってしまった
ほとんど夢の中をさまよっているような状態で時々ふっと目が覚め声も出せない状態の中
私たちに気を遣い笑顔を見せ時折り皆を和ませるような雰囲気作りをしていた


再入院してから1週間くらいたったころからか鼻からずっと血が混ざったような液体が出始め咳とこの液体が呼吸を妨げ咳を出させこれが最後まで母を苦しめた
白血病特有の症状だと思います。


私が看病できたのはたったの8日間だけだったけど
日ごとに様子が悪化していくのが目に見えてわかった
母も自分でそれを感じていたようで意識混濁の中

私に

朝朝、私は死ぬのかな?私はどうして真面目に生きてきたのに悪いことひとつしてきてないのにどうしてこんな病気にならなきゃならないの?私の弟妹たちは私がこんな病気になったことを何も知らない。死んでしまったらこの姿を見せることも伝えることもできない
そんなつらい言葉を聞いたとき私は母のもしものことを覚悟しました
会いたいの?と聞くと  会いたいよ
連絡しようか   ….うん。

たぶんこの言葉が母とまともな会話をした最後の言葉になります
私は泣きながら母の看病をした
今、目の前で泣いてる私の姿さえ母にはわからない それもつらかった
あとは現実と夢とをいったりきたりさまよっているようでした

突然起きだし


長江、長江と言い出しました はじめyokoと言ってるのかと思い
yokoさんって誰?友達?連絡するのっ?ていうと
あんた長江もしらんのか 中国の長江だよと言い出しました
もうわけがわからずの状態の中母は
私を長江に連れて行くってどうしてこんな体なのに長江に連れて行くのよ
酷いと泣きだし すぐに弟と妹に電話をかけ来てもらいました

仕事中だったんだけどね
後から弟はドラマと混同してるんじゃないかと言っていたけど

これを境にますます状況は悪化していった
母はいろんな場所を夢の中で旅してるようでした。
私と弟妹と4人で海岸に行ってきた気持ちよかったと嬉しそうに言ったり
ドラマのストーリーとごちゃ混ぜになって○○は酷いことをするとか

○○は聞き取れなかった

半日朦朧としていても夜になると急に期待できそうなくらい食べれなかった食事を食べたり水をごくごく飲んで驚かせたりオレンジジュースとリンゴのはいったヨーグルトをおいしそうに食べたり
でも最後の食事になってしまったけど
10月26日に一旦東京に戻らなければならなくて

泣く泣く戻った

帰り際にすぐ戻るからねって言ってきたけど私自身が生きた心地がしなかった
お姉ちゃんが帰った後お母さんすごく残念がってたんだよと妹から聞いた時に
無理してでも残ればよかったと思った
それから5日後旅立ってしまった
再入院してわずか3週間で逝ってしまった
11月11日はか~ちゃんの誕生日だったのに。それまで頑張ってもらいたかった
最後の瞬間まで妹と弟がそばについて看取ってくれた

私に母が託した言葉を胸にすぐに母の妹に電話をかけた
弟妹の誰か一人でも来てくれたら母の思いを伝えられるから
妹家族は翌日すぐに上海から来てくれた
私ができたのことはこれくらいしかない

あの二人が本当に驚くくらいに何でもしてくれていて
私は自分自身が恥ずかしくなるほどだった 

後日病棟に挨拶に行ったときに担当の看護師さんや同じ病室の家族の方が
こんなに一生懸命に面倒見る家族を見たことがない本当にお母さんの偉大さを感じたと言われ
皆で号泣してしまった 
担当の看護師さんは看護師生活でこんなに考えさせられたことはないと
そんな子供たち育てたお母さんはすごい人だと看護師さんに言われ
また皆で号泣してしまった 

葬儀も日式でしましたが あの二人が立派な葬儀をしてくれた


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11月3日に一旦東京に戻りボンタを病院のホテルに預け5日に九州に行きました。
帰ってきたのが14日月曜日。戻ってきて色々な用事をを済ませ会社に挨拶に行き
とりあえず落ち着いたのが昨日の夜。今度は11月26日にまた九州に行きます
49日忌が住むまではしばらく行き来するつもりです。

今日は27日忌
私は今日は九州ではないけど弟たちかお寺に供養に行ってる時間は
手を合わせようと思います

生前 自分が死んだら頼んでいたという住職さんにお願いしています
葬儀の時に住職さんまで涙を流してくださり香典までして下さいました
まれなことのようで葬儀の人たちも驚いてたそうです





Memories
Light the corners of my mind
Misty watercolor memories
Of the way we were

Scattered pictures
Of the smiles we left behind
Smiles we gave to one another
For the way we were

Can it be that it was all so simple then
Or has time rewritten every line
If we had the chance to do it all again
Tell me - would we?
Could we?

Memories
May be beautiful and yet
What's too painful to remember
We simply choose to forget


So it is the laughter
We will remember
Whenever we remember
The way we were

The way we were..
***************** 
(訳)
思い出は心の隙を照らす
かすみかけても心を濡らす
あのころの私たちの思いで
散らばった写真
おいてきた微笑み
見つめ合っていた在りし日の微笑み
ただそんな風に思い出してもいいのかな
時が記憶を変えたのかしら
もう一度やり直せるなら
教えて、やってみたい?やり直せるの?

追憶は
美しくともつらいもの

私たちはただそれを忘れて
思い出すのは笑顔ばかり
いつもそれしか思い出せない
あの頃を
あの頃を・・・・

なぜかこの曲ばかり口ずさんでしまいます....

最後まで読んでくださりありがとうございました。