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WILD HEARTS REVIEW

トライバル・サイケデリック音楽プレイヤー・KAYA/Gypsy Eyesの

ROLLING LOVE&LIFE

…ディジュリドゥ、ネイティブ・アメリカン・フルート、JIMI HENDRIX、サイケデリクス、etc.

この一週間、花粉症疑惑が勃発。
微熱が下がらん。
これまでなんとか花粉症をかわして生きてきたのに。

心療内科で鼻炎に効く漢方、小青竜湯を処方してもらう。
ネットでアロマ精油を検索、オーストラリア直送のティートゥリーとユーカリの精油を発見して、即オーダー。

昨夜はヘンな夢見ました。

甲板がクリスタルなでっかい船に乗ってます。
船の下をクジラが通るとお客さんから歓声。
クジラが船の横に来て潮を吹くと、こまかーいシャワーのような水がかかって気持ちイイ。

どっかに到着。
ライブハウスに行く。
何故か着物きてるわたし。
ジミヘンのライブじゃん。
ジミヘンを最前列で見る。

終わってから楽屋に行く。
人でいっぱーい。
祈祷師もいる。
ジミヘンのとこまで辿り着けず、祈祷師とお話。
「ジミヘンは天才だ!」
と二人で意気投合。

祈祷師、なにやらドライフラワーの束を出す。
「これからは、人間、植物に助けられるであろう」
じーんとするわたし。
ポーチから黄色い粉を出す祈祷師。
「あ、お守りのトウモロコシの花粉」
(多分に昨日読んだナバホの本の影響大)
「でも花粉は今、人間に合わないんだよ」
とわたし。花粉症だからね。
「人間が変わってしまったのだ。花粉は悪くない。」
と祈祷師。

この後は、謎のビジネスマンが登場したり、ピラミッド型の聖徳太子のお墓に行ったり、荒唐無稽でした。

「これからは植物に助けられるであろう」
この言葉は、実は、数年前に突然閃いた言葉なのです。
今、花粉症疑惑が勃発したので、また思い出したのだろう。

ステロイドや抗アレルギー薬でなく、漢方とアロマ精油とハーブで回復しよう、と心に決めた。
ディジュリドゥ、ネイティブ・アメリカン・フルートはともにトラディショナルな儀式にも用いられる楽器である。ディジュリドゥの場合、女子はジェンダー・タブーがあって、マスターに教わることができない。よって、KAYAの演奏スタイルは「コンテンポラリー」なのだ。

このジェンダー・タブーについては、デビッド・ハドソンの前座をやった時、直接デビッドに聞いてみた。
彼はトラディショナルとコンテンポラリーと両方のスタイルで演奏する、ネイティブ・プレイヤーだ。
彼は「ミュージックには男女の別はない。君のスタイルで自由に演奏すればいいんだ。」と言ってくれ、それまで抱いていた「女子にこの楽器は向いていないのでは?」という疑念が吹っ飛んだ。

シャーマニックな音源を聞いていると共通するものがある。
特徴的なトーンと単調なリフの繰り返し、この二つだ。
ディジュリドゥもネイティブ・アメリカン・フルートも独特のトーンを持つ。
ポップ・ミュージック的なコンテキストの中にも「ミニマル・ミュージック」というカテゴリーがあり、そのスタイルで演奏をすると、これはシャーマニックな音楽、ということになる。
もちろん、各部族特有の言語に関わる節回しやリズムなどがあるわけだから、厳密には「なんちゃってシャーマニック・ミュージック」だ。

しかし。
意識の変容は起きるのだ。
演奏していて、「ああ、ヤバイところにきたな」と感じることがある。
自分独りで演奏している時は、どこまでも行ってみるんだけど、ライブの場合は制御する。
誰よりもお客さんに「イッって」もらわないとならないからだ。
ライブの後でお客さんからのフィードバックには、「跳びましたよぉ~」「ヤバイっすね!」「超アンビエントなサイケでしたー」etc.の声を聞く。
意識の変容なのだ。

自分の生育史の中には純粋に伝統的な自国の民族音楽の刷り込みはない。
都会で生まれ育ち、この日本の音楽も一様に他の民族音楽と同次元におかれている。
唯一、自分にとっての「民族音楽」というものがあるとしたら、それは「ROCK」だ。

ROCKのライブが自分にとって初めての「祝祭的」な現場であった。
意識の高揚、変容、非日常的な空間…トリップするのだ。

ROCK的なメソッドを根幹に持ちながら演奏する民族楽器。
これは、後々続いて行く新しいシャーマニックなジャンルなのだろうか。
それとも、ハイブリッド、つまり一代雑種なのだろうか。
答えは時間だけが知っている。



友達んちにシャム猫の子が来るんだって。
いいな、いいなぁ。
うちは公団だから飼えないんだよ…。
ま、血統系でNO.1大好きはロシアン・ブルーだからさ、そんなにうらやましくはないけどさ。

実家で以前、「クロ」という猫を飼っていた。
極めてイージーなネーミング、黒猫だ。
クロは前足がタビ、後ろ足がソックスのように白くて、あと胸元がちょっと白。
尾も長くて奇麗でした。
雄で、自由に外に行く猫だったから、戦いの傷跡から猫エイズになって人生、いえ猫生を終えた。

家の中にいるときも、外で見かけるときも、時たま、何もないはずの虚空をじーっと眺めていることがあった。
実家は、ほら、古井戸と防空壕で最悪の風水の家だったから、なんか居たんだろうか。

道でみかけるよその子も、塀の上なんかで、夜の闇をじーっと眺めていたりする。
猫って霊能者なの?

霊的な防衛力の弱い人は猫を飼うと守ってくれるという話がある。
猫は死霊生霊問わず、追い払ってくれるらしい。
エジプトでは猫、神様だったよね。

動物には「サイ」パワーがある、って思う。
そしてそれはニンゲンにもあるのだろう。
「猫の集会」ってあったよね、あれは何だろう?
最近の猫は集会してるんだろうか。

クロ、可愛かったっす~。
おふとんに入って来て、枕して寝たり、お刺身をもらうと食べながらおいしすぎて声が出ちゃったり、にゃにゃにゃ~。
イクラが噛めなくて口から出ちゃって、どこまでもおいかけたり。
肉球を怪我して化膿しちゃった時は、父が足袋を作ってやり、お出かけの時にはかせてました、木に登りにくくなっててたけど。
鯵が大好き、鯵を買ってきて、台所で三枚におろしていると、必ず肩に登ってきて、見てました。
シアワセな思い出を沢山残してくれたなあ。

そーいえば、ご機嫌の時、リラックスしているときに喉をゴロゴロ言わせるのはホーメイの唱法・カルグラーみたいなもんなんだろか。

しょうがない、うちでは飼えないんだから、友達んちの子をたまに可愛がることにするか。
…実は相当うらやましいんだな、自分。
「京都異界紀行~千年の魔都の水脈」
を読んでいたら、昔々の怖い出来事を思い出したぞ。

若かりし小娘時代、やさぐれたうんと年上男とちょっとの間つきあったことがある。
アウトロー的な大人って感じだったんだけど、今思えば駄目人間でした。

つきあいだしてから、変なことばかり起きる。
突然、泣き出してしまったり、妙に身体がだるくて起きられなかったり。
酒の飲み方がすさんできたし。
鬱くんの症状とは違うのだ。
心身が自分のモノじゃないような感じ。
しょうもない男とつきあってて、疲れてんのかなあ、くらいに考えていた。

夢を見たのである。
知らない女の人が出てくる。
いつも泣いている。

自分の無意識が表象に出たのか、と思っていた。
ある時、恋愛経験の話になった。
その男の前の同棲していた彼女というのが、なんと、自宅で変死しているのであった‥。
相当酒飲みで、肝硬変になっていたのに気づかず、ある日、男が仕事から帰ったら、吐瀉物の中に倒れて息途絶えていたらしい。

これだこれだこれだぁ!
直感でわかった。
私も大酒のみだったし、これは憑いたぞっ!
と確信。

即座に別れ話。
もめた。
ストーカー状態になった。
こりゃあ、すんなりおさまらねぇな、解決するには、と考えた。
憑き物落とししかない。

水は浄化する。
なにかの本で読んだ「橋と異界」の話を思い出した。
男のプレゼント一式まとめて、塩を振り、きっちりと布でくるんだ。
それを持って、友達に頼み、多摩川の大きな橋のあるところに連れていってもらった。
橋は一人で歩いて渡った。
橋の中ほどで、布包みを放り投げ(川を汚してゴメンナサイ…)、
「災いなすものもと来たところにすみやかに帰れ!」
と叫び、般若心経を唱えながら向こう岸へ。
友達が車で待っている。
それに乗って、違う道を通って帰宅。

ぱったりとその男との縁が切れた。
身体の調子も回復。

この方式、悪縁切りなんかにも使えます。
あ、ひとつ秘訣が。
決して振り返ってはいけません。
しかし、マブで怖かったっすよ~。

今年の7月4日に彗星を撃つんだそうだ。
NASAが。
アメリカの独立記念日にね。
まったく、レイプでしかない行為を宇宙レベルでもやらかそうっていうのか、U.S.A。
占星術師のジョナサン・ケイナーも怒ってます!
http://www.cainer.com/japan/

スマトラ地震で地軸が傾きを変えて地球の自転が速くなった、じゃあこれからどんなことが起こるんだろう、って時に。

カルマと輪廻。
「つながり」ということが今までの三次元的レベルだけでなく、感じられるようになってゆくんじゃないかと思うこの頃、「☆を撃つ」行為はどのように返ってくるのか。

ネイティブ・アメリカンの伝統的な人たちはどう思っているんだろうな。

津波発生の地震波の影響で、地軸の傾きが微妙に変わり、地球の形がやや楕円から球形になったそうだ。
そして、自転速度が速くなったんだって。

ジミヘンの2枚のアルバム、「AXIS:Bold As Love」のタイトル曲について、ジミがこんなことを言っている。

「地軸の傾きがちょっと変わっただけで、すべてがひっくりかえるようなことが起きるんだぜ。それと同じで愛ってのが、すべてをひっくりかえすこともある。意識の持ちようで…そう、ちょっとした考え方の変化で、驚くようなことを起こすこともできるんだ。」

Bold As Love、愛のように大胆に。

うちにはTVありません。
正月に実家で、BSの「サウンド・オブ・ミュージック」なんてたまたま見ちゃったら、滂沱の涙を流しそうになってしまった…。
ピュアーな表現にいちいち反応しちゃいました。
音楽ってスバラシイ。

でも!
そんな一年の始まりはヤバいでしょう、って訳で、DVD「スクール・オブ・ロック」を見初めに。
…これもいちいち、じーんとしちゃって、こりゃ高齢化か?
コレクターズ・エディションってことで、特典映像が沢山入ってる。
ジャック・ブラックの日記とかね。
「俺はデブだ。だが、食べるのが好きなので仕方がない!」

「それはロックかロックでないか」若かりし頃は全ての選択基準がそこにあったような気がするんだ。
いつの間にか「安全」を生きる基準にしてないか?自分。
ココロの底にはいつだって、ナニモノカに反逆しながら、熱い夢を実現させる「ロック」が流れているんだよ。

ウエイト・オーバーしきりな昨今、イギー・ポップさまをロック・ダイエットのアイコンにしました。
今年は、エッジの効いた歩き方をするぞ!とココロに誓いました。
つらい時にはこのムーヴィーに勇気づけられることにします。

すべてのロック好きなみなさん、このムーヴィーは見るべし!
バカみたいに好きなことって、イカしてるよ!

ヴァニラちゃんのDVDヴァージンを捧げるのはこの男でなきゃ!
…このblogから読んだ人には、いったい何言ってんだかわからんだろ。

と、言う訳で、¥2,980の10%引きで、DVD「Electric Ladyland」をゲットしてきました。
中掃除なんかしながらBGMで流すかぁ、って感じでディスクオン
したら、釘付け。
うわぁ、うわぁ。はあと。

「ルールなんかないのがルールだった。…だから楽しかったんだ。」
このムーヴィーはアルバムのリマスタリング版のCDが発売された時に同時に出たメイキング裏話なのです。
天才エンジニア、エディ・クレマーがミキサーの前で、当時レコーディングに参加した偉人たちを交えて、ジミの音作りの秘密を語る。

櫛とセロハンを使ってカズーを作ったジミ。
ノエルのベースを逆さに持ってひいたジミ。
いつもメモ用紙とペンを放さず歌詞を書いていたジミ。
一人ハモりでゴスペルコーラスをやったジミ。

「音づくりのためなら、何にでも手を出したんだ。」

これから、怠け者になったり、落ち込んだり、音を出すことの重さに負けそうになったり、とにかく駄目な自分とやり合う時はこのムーヴィーを見ることにします。

我、地に伏し祈るものなり。
世界の美を司どる大いなる精霊よ、
もう一度、われらを世界の美に包まれるべく
導きたまえ。

我、畏れながら詠うものなり。
わられ小さきヒトたるものを、
守らしめよ、
大いなる地の母よ、
その腕にわれらを眠らしめ、
その息吹でわれらを消し去るものよ、
もう一度微笑みたまえ。

遠き祖霊の集うところ、
われら子孫の歩く道は、
あなた方にに通ずるものなり。
ゆるやかに繋がれ、
世界の美をわれらに伝えるものと。

我、地に伏し、天を仰ぎ、祈るものなり。
もう一度、われらを世界に美に会わしめたまえ。
我、曽祖父の太鼓を打ち鳴らし、詠うものなり。
我が拍動は、すなわち、大地の拍動。

我、祈り、詠うものなり。