「私はデブでブス。可愛くない。」
「私には彼氏がいない。コミュニケーション能力がない。」
…だから誰も私と友達になりたいとは思わない。
これは、昔から自分に言い聞かせていた言葉たちです。はじめてこの考えが浮かんだのは大体10か11歳くらいの頃だったかと思います。
小学校5年生の冬にはじめてお母さんではなく、美容院で髪を切ってもらいました。
そのときに「やせて見える髪型にしてください」と頼んだのを覚えています。
その頃すでに自分は太っているから可愛くない、という考えがありました。中学に入って一気に思いは強くなり、高校、大学を経るうちにすっかり自分の形容詞は「デブ」「ブス」「コミュ障」「みんなに嫌われている」になっていました。
大学生になって「自分の見る世界は、自分の思うとおりになっている」という内容の自己啓発本を読み、
わたしは自分で「デブ」「ブス」「コミュ障」「みんなに嫌われている」自分をつくってるの…?!
と大きなショックを受けました。
ショック故に、「自分に対するイメージを前向きなものに変えましょう」という自己啓発本の結論はすごく響きました。
だから「私はスタイルがいい」「私はかわいい」「私は美人だ」「私はコミュニケーション能力がある」と思おうとがんばりました。当時の日記や手帳に「私はかわいい♡」と書いたり、壁に「私は愛されている♡」と貼ったり、1日100回唱えたり。
でも気づくと「どうせ私は可愛くないんだから」と思っていて、そんな自分を「可愛いって信じれないのだから、私は絶対可愛くなれない」と嫌っていました。
人生を楽しく、幸せにするために自己啓発本を読んだはずなのに、本棚にそれを見る度に劣等感を持ち、さらに憂鬱な気分になりました。
この無限の負のループは
今
きっかけとなったのが、「どんな信念や
周りから見たらどんなに非論理的でも、意
その「良かれ」を理解することが負のループからの出口になります。
例えば私が自分
- 調
子に乗らない - 実際に太っていないのにデブと言うことで、体型に高い基準を持っていることをアピールできる
- ダイエットを頑張る
- 食べすぎないように常に注意する
- 運動をするモチベーションになる
- 周りの人に「デブじゃないよ」と言ってもらって、安心できる
- もし誰かに「太って
る」とか「そんなに痩せてない」とか言われても傷 つかずにすむ
主なものだけでも、これくらい自分を「デブ」と呼ぶことにメリットがありました。
それは簡単に「デブ」という考えを手放せないわけです。
だって「私はスタイルがいい」と思ってしまったら、
調子に乗っていて、美しさに大した基準もなくて、ダイエットもしなくて、食べたいだけ食べて、運動もしなくて、誰にも「デブじゃないよ」って言ってもらえなくて、「太ってる」と言われたらすごく傷ついてしまう私、
になるかもしれないから。
さらにメリットから、私の特徴を見つけることもできます。
- 調
子に乗らない - →謙虚さを持っている
- 実際にふとっていないのにデブと言うことで、外見に高い基準を持っていることをアピールできる
- →美意識が高い。外見を美しくしたいという思いが強い。
- ダイエットを頑張る
- 食べすぎないように常に注意する
- 運動をするモチベーションになる
- →健康を大切にする。欲しい結果のために努力することができる。
- 周りの人に「デブじゃないよ」と言ってもらって、安心できる
- →他人の意見も大切にする。独りよがりにならない。
- もし誰かに「太って
る」とか「そんなに痩せてない」とか言われても傷 つかずにすむ - →自分を守ろう、大切にしよう、という気持ちがある。
「私はデブだ」には、実はわたしの長所がこんなにも反映されていたんだ、と気づくと、簡単に考えを変えられなかったことも納得できます。
とはいえ、デメリットもあります。
- 常に自信がない
- おしゃれを楽しめない
- 鏡を見るのが辛い
- 他人の体型にも厳しく、批判的になる
- 人前に出るのが嫌になる
- 写真が大嫌いになる
- 外に出たくなくなる
- 食べることに罪悪感があって、美味しいものを楽しめない
一旦全てを書き出してみると、頭になかでぼんやり考えていたものがはっきり見えます。そのうえでメリットとデメリットを合計100%として比べると、15対85でデメリットの方が大きいと感じました。
*2
わたしの体感としてはメリットを15%キープしながら、デメリットをなくせたらベストです。
いいところを手放さず、でも今ほど辛くならない考えに変えたい。
では「私はデブだ」に代わる自分の体型への評価を考えてみます。
私は私。
わたしの身体は、わたしの身体。
ただ私の身体としてそこにあるだ
体型は場所によって、国によって、
太っていると言われ
それは見る人の自由。
私が
自分がいいと
「私の体は、ただ私の体」
と信じることができればいちばん楽だし、他人を見下すことにはつながらないし、健康でいようとする思いへの否定にもならない。さらに見る人の評価は自由だと認めることで、他の人の言葉によってじぶんまで傷つかない。
ちなみにここまで考えると、当初の「私はデブ」を信じる度合いはほとんどゼロに近くなっています。
さらにダメ押しで、「デブ」を信じるメリットに反論を挙げておきます。
- 調
子に乗らない - →たしかに「私は痩せていて、他の人は太っている!」と思っていたら、調子に乗った嫌な奴になるかもしれない。だからと言って「私はデブ!」と自分に言い続けるのも理不尽。それに「私の体は、私の体」と思うことはただの事実だし、特に問題ないと思う。
- 実際に太っていないのにデブと言うことで、体型に高い基準を持っていることをアピールできる
- →たしかにプロのモデルはとても痩せている人が多いし、痩せているのに「私は太ってる」と口にする人もいる。でもその基準を持っていることを私がアピールしてどうするのだろう。それより「私の体は、私の体」と思って、運動した方が理想に近づけると思う。
- ダイエットを頑張る
- 食べすぎないように常に注意する
- 運動をするモチベーションになる
- →たしか「デブ」と思うと食べることが怖くなるけど、これだと脅迫に近い。自分を脅迫するよりも、「私の体は、私の体」と思って、健康で美しい体のために食べ物に気を使ったり、行動した方が、よほど心穏やかに理想に近づけると思う。
- 周りの人に「デブじゃないよ」と言ってもらって、安心できる
- →太ってないよ、と慰めてくれる人もいるけど、いつも「私デブだから」て言っていたらうんざりされてしまうかも。それにたまにもらえる「デブじゃないよ」という言葉のために、いつも「自分はデブ」と思わなければいけないのって割に合わない。
- もし誰かに「太って
る」とか「そんなに痩せてない」とか言われても傷 つかずにすむ - →たしかに最初から「デブ」と思っていれば、他人から言われた時のショックは少ないかもしれない。それでも言われたら傷つく。どうせ傷つくんだから、自分が自分を悪く言う意味ってあまりない。他人も自分も「デブ」と言っていたら、2対0だけど、自分が味方でいれば1対1になる。それに実際に「太ってる」って言われたことって人生で数回、しかも身内から。この先他人に「太ってる」と直接言われる可能性は低いと思う。もし本当に言われてしまったら、そのときはそのとき。誰かに聞いてもらったりして、対処しよう。
これで一旦ワークは終わりです。
この先「私はデブだ」という考えが浮かんでも、まず「謙虚でいたいと思っているんだ」「健康のために努力しようという思いがあるんだ」ということを思い出します。それだけで、相当気持ちは安らかになります。
そこから「デブ」と思うことのメリットに反論してみます。そして「私の体は、ただ私の体」だったと思うに至ると、地獄から抜けています。
頭の中の地獄から抜けるのは、おそらく人生でいちばん大きな快感で、歓びです。グロテスクな形にゆがんで見えていた現実が、穏やかに、ありのまま見えること。こんなにも世界は美しかったのか、と涙が流れるくらい。この美しさを一人でも多くの人と分かち合えることが、今の私の幸せです。
*1 バーンズ博士のホームページでPositive Reframingという言葉で説明されています。
*2 図は以下の書籍の分析法を参考にしたものです。
デビッド・D・バーンズ 著, いやな気分よさようなら 自分で学ぶ「抑うつ」克服法, 星和書店, 1990年, 304−305ページ.
