今日あった出来事と、ここ数ヶ月続いている出来事を、どう受け止めたらいいのかわからずいます。

 

現実が厳しすぎやしないか。

本当に本当に、毎日ニュースから流れてくる内容があまりに酷すぎて、目をそらさずにはいられないです。

あんまりにも目にしすぎると精神を持って行かれるから、楽しいことを考えよう、おもしろいことをしようという意識がどうしても自衛のために働くようになったのですが、

今日はちょっとそれも難しいなあというか、一回ちゃんと何が辛くて何を考えているのか整理しないと、きっついなあという思いに駆られています。

 

一つ、これがとてもきついっていうのがあって、多様性を認めようって理想が語られてから結構何年も経っているけど、社会はそうならないなあ…という苛立ちがものすごくて。

yahooニュースのコメントとか著名人のTwitterのリプ欄とか見るともう「どうしてこうなった?」感が強くてどうしたらいいかわからないのです。

一般人は一般人同士至る所で喧々諤々だし、著名人が何か意見するとクソリプがどんどんついていく。

国と都がコロナ対策についてお互いに責任のなすりつけあいをしている。

「自粛要請」という言葉で責任を逃れる。

誹謗中傷を受けて亡くなった方がいる。

なんか学生の頃って景気悪いし日本の未来そりゃ明るくないだろって思ってたけど、こんなにも箍が外れたような社会になるとは思ってなかった。

でもそうしている一人でもあるんだよね。大人だもの。

 

責任からできるだけ逃れて、うまくやるのが得策みたいなことになってしまっているのが本当に本当に理解ができなくて、

ちゃんと話したいしちゃんと理解したいしちゃんと推し進めたいしちゃんと責任を持ちたくない?って思うんだけどそれは今のご時世コスパが悪い。

いや、ちゃんと話をすることを避けていることもあるし、果たせてない責任もあるから偉そうなこと言えないんだけどさ。

 

昔からそうだけど、どんどんどんどん真面目な人が馬鹿を見る世の中になっている気がしてもうどうしたらいいのやら

 

もしかしてみんなそれをどこかに感じていて、でもやりきれなくて、他人を糾弾したりとかすることでなんとか心のバランスとってるのかな。

そうだとしたら社会がものすごく不健康すぎるよねえ。

そうした負の感情がどんどんいろんな人へ回って行って、最終的にそれを受け止めた人に負の感情がたまっていって、最悪の事態になっていったりしているのかな。

そんなサイクルが生まれてしまうこと自体が悲しいよ。

でもそれがすでに生まれてしまっているから、余計、コスパの悪い生き方できなくなるよね。話し合おうとか、理解しようとか、しないほうが楽だもんね…楽なのもわかる…人類補完計画完了しないかなって思うときもあるもんな…

 

なんでかな。なんでなのかな。どうしたらいいのかな。

おっさんずラブの続編についてのお話がチラホラ出てきていて、
民なさまとりあえず自分を落ち着けて「公式を待つ」と正座していらっしゃいますね。

ミートゥー。

でもちょっと気になることがあったので、
ワンクッション置いて書いてみます。
LGBT当事者のひとりとしての想いもちょっと込めて書いてみるので、きっとアグリーは少ないかなと思いつつ。
(今までこのブログ読んでくださっている方、これまでといきなり文体違ってすみません…笑)


なお、めっちゃくちゃ劇場版のネタバレしてますので、回避したい方は観てからの再訪問お待ちしてます!




















では参ります〜
私としては、春田さんと牧くんのお話は今現時点では劇場版で完結でいいのではと思っています。
なぜなら「2人の続編を叶えるには同性愛者が抱える現実ときちんと向き合う必要がある」と思ったからです。


まず制作陣は、貴島プロデューサー始め色んな方がおっしゃっているように、今までの作品は「月9みたいなピュアなラブストーリーを作りたい」という思いから作っていて、特段LGBTをテーマにしているわけではなかったということでした。

だからこそ、異性愛も同性愛も関係なく「人を好きになることって素晴らしいことだよね」というスタンスが、本当に素晴らしかったと思うんです。

その上で、春田さんと同じように制作陣も「同性愛ってこういうことなんだな」っていうことにぶつかったのが、劇場版だったと思うんです。

「牧と本気で、家族になりたいって思った」
「でも俺…なーんにも分かってなかった」

ぶつかってますね。現実に。

「どうして“好き”だけじゃダメなんだろう。」このコピーも本当に素晴らしいですよね。


先のセリフに続けて春田さんはこう言うんですよね。

「男同士ってそもそも法律的に?結婚できないし…それに…俺すげー子供好きだから、なんつーか…そういうのとか、色々?」

つまり続編を描こうとすると、ここで言及してしまっている以上、法律的に結婚できない世界でどのように家と家のつながりを作っていくのか?とか、子供を持つ?とか、
そういう「同性愛だからこそ直面する問題」と相対する必要が出てくるわけです。

周囲の人たちで作られていた今までの優しい世界だけでは成り立たなくなってくる。
「ちずちゃんとくっついてくれたらくれたらいいのに」と言う春田さんの母・幸枝さんが、2人がカムアウトした時にどのような反応をするのかすごく心配だし、「孫の顔も見たいじゃない?」を牧くんが聞いてしまっている以上、そこも話し合わないといけない。

たーくさんの問題が2人には降りかかってくるわけですよね。


この作品、LGBT監修がついてなくて。
それは、冒頭に書いた制作陣の「特段LGBTをテーマにしているわけではない」が理由だと思っていて。
(劇場版もつけなかったんだなーとは思いました)
だからこそこんなにポップに描けたストーリー・コンテンツ展開なんだろうなとも思います。

でも、この先の問題に直面したとき、今の制作陣だけで果たして全部描けるだろうか?
では、LGBT監修が入ったときに、こんなポップな展開が出来るだろうか?という疑問が残るよな〜と思ったんです。
①今の日本のこの状況で、②今までの絶妙なバランスを保ちつつ、③2人の続編を描くためには、制作陣相当色々考える必要あるよな…と。
それだけ、「付き合うのと家族になるのでは次元が違うからな」…ってことであり、
「ハァードルの高い制作って燃えるけど…ムズイっすよね」って話です。





引用したセリフはこちらから。





で、私がここで思ったのは、彼らが本当にこの世界のどこかで幸せに暮らしていればいいなと思うからこそ、
もし2人の続編を観ることになるなら、これから彼らが向き合っていく同性愛者としての悩みを無視できないなということです。
(ここからは視聴者側の話です)


もちろん物語なので、何でもないご飯のシーンとか、デートとか、ちょっとしたイチャイチャだけを切り取ることは可能だしそれに癒されるのもめっっちゃくちゃ理解できるんです。

でも劇場版であの世界線でも同性同士は結婚できないし、子供を授かることに対して異性愛者と比べて圧倒的に困難が多いという問題が存在すると明言されてしまった以上、その日常は悩みと共にある日常なんですよね。


自分も似たようなセクシャリティを持っているから余計無視できないのは否めないのですが、1人のOL民として彼らに幸せになってほしいと願う以上は、あの世界線にも存在する問題が少しでもいい方向に向かっていて欲しいなと思います。

様々批判はあれど、私は劇場版が「同性婚は出来ない」「子供を持つには困難が多い」という現実に寄り添ってくれたこと自体が優しい世界の続きだなと思っています。
だからできることなのであれば今後もフィクションとして設定を作り上げるのでなく、現実に寄り添った物語が観たい。
そして劇場版が現実に寄り添ってくれたからこそ、現実がおっさんずラブの物語のこの先を描けるように進んで行くよう個人として努力したいなと思うのです。




最後に。
時代は変わるものなんだなーと思うのは、物語の最初の春田のナレーションに表れていますよね。

2016年の単発「神様、こんなモテ期は、すみません要りません」
2018年連ドラ「神様、僕が希望していた運命の恋とは、少しテイストが違うような気がします」
2019年劇場版「神様、あの日誓った“永遠の愛”とは一体、何だったのでしょうか?」


こうやってワンアップし続けている作品なので、いつかまた今までのキャスト・設定の続編を観たいなって気持ちを持ちつつ、もし本当に11月からまたおっさんずラブをやるんだとすれば、今現時点では私としてはスピンオフ型の方が安心して観れるかな…と思いました。



やんややんや言いましたが、
書きたいこと書けたので、とりあえずもう一回正座を整えて待つことにします。笑笑

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思わずこのネタ見つけて書こうと思っちゃいました。
民ですか。さては民ですか。

私は甘い派です〜砂糖入ってて中半熟でとろっとしてるやつが朝ごはんに出てくるの超ハッピー。

そういえばこの問いにはるたんは答えましたっけ?