到着は大きな仁王がポーズをとる門。

高さ10m以上。

最近のお寺は…何かとハデお金だぜ。


 テレビでしか見たことの無い黄色いテープが家の玄関に貼ってあった。

 警察官が開け放した入り口の前で番をしていた。

 娘とその家族だ、と言うと中に入れてくれた。

 入り口すぐの廊下に、母親が座っていた。

 ざんばらの髪で、焦点の合わない目。

 足はふとももから下が膨れ上がっていて、紫に変色してる。

 肩をゆすって、こっちを向かせた。

 「何があったの!?」の言葉に、まるで他人事のように。

 「…おとーさん、死んでるんやってさ…」

 奥の部屋には、いつも二人が並んで座っていたコタツがあった。

 春先の肌寒い日、片付けていなかったコタツは壁に立てられ、

 肘付き座椅子にもたれ、青くなった目を半開きにし、

 口を小さくぽっかり開いて、白くなった両手を曲げたまま

 固まっている父がいた。

 すすり泣く声は後ろからした。でかハルだった。

 ダンナも泣いていた。

 なぜかハルは、笑顔になった。2人が泣いているのが嬉しかった。

 「お疲れさん」目を手で閉じると、もう開かなかった。

 警察に調書を取られ、一旦親父が連れて行かれると聞いた。

 緑色のビニールシートに包まれるとき、親父の体がしゃんと伸びた。

 今になれば、死後硬直も解けるほどの時間が経っていたのだとわかるけど、

 その時はなぜか(さすが親父、最後まで背筋は伸びてたな)と尊敬した。

    検死結果は「急性劇症肝炎」

    眠っている内に心臓が止まったんだろうと言われた。

    平成19年4月13日金曜日が命日となったが、本当はその2日前。

    83歳のじいさんは、ちびハルの月誕生日と重ならないように

    最後まで孫たちを気にかけて逝った。

 母親はその後、葬儀には出られなかった。

 数日後にはケアマネージャーが付き、入院。

 親父が死んだあと、数日間その死体と一緒にいた。

 恐ろしいほどの狂気の時間。

 重度の痴呆と錯乱が認められ、入院から施設へと転院が決まった。

 介護度も要支援(通常の生活可能)から

 一気に要介護4(介護が24時間必要な状態)まで跳ね上がったのだ。

 そして、ひとりっこのハルは、一度に実家と父と母を失った。



お寺は一心寺。

無縁仏さんも一緒に祀られる、合同葬のお寺だ。

3回忌を迎える今年は、まず坊主に拝んでもらえるように頼むシステム。

金額はお布施料として、2千円~3万円まである。

どういう差なのかは知らないが…ボウズマルモウケだと思ったことは秘密ドキドキ

拝んでもらうのが終われば、親父の骨のある安置所にお参り。

平成29年にはその時期までに亡くなった人と一緒に処理され、

大きな骨仏となってお参り口の正面に現れる。


ぐ~たら SOHO生活-おまいり2

そのとき、ちびハル10歳。

20歳の成人を手前にしたでかハルの手を握って、

一緒に参りにくるだろう。



帰り道、母親が道の途中で倒れるハプニングあせる


ぐ~たら SOHO生活-おまいり3

救急車騒ぎになり、でかハル&ちびハルも一瞬青ざめたが、

単なる熱中症だった(熱かったし晴れ

点滴後に病院を出たその足で、うどん定食ラーメン完食。

ふっ…強いぜ85歳。





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