この記事のテーマである 欲求不満の母親から否定された私の『女性性』について お話します。

声を出したら勝手に癒えてしまった? by 【ちっちゃな夏海のお部屋】 夏海

この記事に書いてあるとおり、私は母親の歪んだ思い込みから 『公衆便所』と言われました。
そのせいで私は足元を絶えず緊張して過ごさなければならず、それは今も続いています。

もう一つの出来事があります。

20歳を過ぎた時に 高校時代から付き合っていた彼と別れました。
そのほとんど直後に その男と妹が付き合い始め、私の家まで車で送り迎えをしに来る。。。というあり得ないシュチュエーションになりました。

当時付き合い始めたばかりの彼に その話をしたら、彼は私を攻撃しました。

サル
淫乱

私には 何の落ち度もなかったのに、なぜか私が淫乱扱いされてしまいました。

彼から罵倒され
元彼が 妹の送り迎えに家に来る
妹の首筋には べったりとキスマークがある・・・・

家 も 外でも 私の居場所がなくなり、生きている気力がなくなりました。
あんたが別れるまでは 私は食べない と 妹に宣言して、何も食べずに死ぬつもりでいました。

10日くらい絶食し 結局死ぬことはなく入院する羽目になりましたが、
私は 生きている気力なんてありませんでした。

このまま生きたくない。 出家して寺に入る。
そう母親に宣言しました。

そんな状態の私に向かって母親は言いました。

あの子(妹)は 言っても聞かないから、あんたが我慢しなさい。

死にかけた理由を知りながら
死にかけた私に向かって
「あんたが我慢しろ」と言い、
相変わらず 元彼が平然と家に顔を見せる家に戻らなければならない。。。


そのうちに 弟が交通事故で亡くなってしまったので、私は死ぬことができなくなりましたが。

妹は いつも大きなグループに所属していました。
いくつか渡り歩いた そのグループは 男女で構成されていて、
その中で フルーツバスケットを繰り返していました。

つまり グループ内で男女のペアが 入れ替わる、周囲から見るとメンバーが変わらない一見地味に見えるけれど 事実は乱交状態。
(私は グループ活動が苦手だったので抜けましたが、その後私の元彼と妹が別れた次に元彼が付き合いだしたのはグループ内にいた妹の後輩という 吐き気がする)

私には 妹の方が性にだらしなく感じていたのですが、母から攻撃されていたのは私だけ だったのです。
なぜならば、妹が付き合う人は同じグループ内の人で、行動は同じ面子のままで一緒にいるので目立つことがなく、
母親にとっては 私の方が目立ってしまった。。。から?

そもそも 私にとって 私の『性』は 自分を受け入れて貰うための道具でした。
自己否定が強く、何も持っていない私を受け入れて貰うためには、私が持っている唯一のものである『性』を差し出さなければ『私』を受けれいれて貰えるとは思っておらず、
『それ』がない私には 受け入れて貰える価値なんてあるとは思えていませんでした。

だから 私は 商品価値を保つために太ってはならかったし、
母親が言うところの 『ぶさいく』な 格好をしてはいけなかったし、
淫乱だとは 決して思われてはいけない と 自分を戒めていました。

つづく