帰国して、入院して、一人で色んなことを考えて、

 

自分の病気の状況や、これからリスクとして考えられることを聞いていくと、

 

私はしばらく韓国に戻れるものではないなと思いました。

 

そして数年で片付く問題でもなく、病気を治す問題は、経済的問題も同様です。

 

いままで、フルに仕事をしていましたが、これは減らすか辞めるかする必要がありました。

 

正直、今の会社の仕事は、自由度が多い上に、私は会社にとっては外国人だから面倒な人間関係もありません。

会社としても私のスキルは都合がよく、お金もそこそこもらってます。

 

辞めるのはもったいないとはいえ、仕事量が多く、無理だと思い、相談することにしました。

 

ダメ元、ダメなら内職仕事、つてを辿ればあるので、生活できないわけではなく。

 

相談したら、

重要なポジションではなく、補助的なことや後方ポジションで、日程が詰まった仕事じゃないなら続けてほしいと言われ、

甘えることにしました。

 

収入は落ちましたけど、30代女性にしてはまだまだ多く、ありがたかったです。

 

日本で、自分のペースで、一人で暮らそうと思っていたので、それが確保できれば良かったです。

 

父母に相談したら、

一人暮らしなんてとんでもない!! 突然倒れたらどうするの? 

と、怒られ、

脛をかじり、自宅に住むことになりました。

 

そして、医療費についても、今後どれくらいかかるか分からない状況であったため、自宅にいる間は父が出してくれることになりました。

 

症状の進み具合や体質により、薬がどれくらい効いてくるかはわかりません。

何もかもが、分からない状態で治療をスタートし、最初は入院していたので、何もせずにいても良かったのですが、家にいるとどうしても最低限の生活の行動は必要です。

 

掃除や洗濯や料理から少しづつ始めて、マートに行く、散歩に行く、車の運転をするなど、少しずつ外に出る練習もする必要がありました。

 

今までだったら、絶対になかったけれど、体調が急に悪くなって帰らなくてはならないことも考えると、あまり遠くに行くのも気が引けるし、人混みに出るのはコロナもあったので非常に怖くて、なんとなく1日ずっと家にいたという日も多かったです。

 

オッパは毎日誰かといる時以外は電話をくれました。

この時期はオッパもほぼ自宅で仕事をしていたんですが、オンラインミーティングや電話以外はほとんど電話を繋ぎながら仕事をしていました。

 

一緒に住み始めてから、考えてみたら別々にいることの方が珍しかったので、

離れているのがとても不思議な感覚でした。

 

体調が悪くて、発熱や吐き気のまま夜になっても、寝てるのか寝ていないのか朦朧としていたことも、このころはまだ多かったです。

必ず夢を見ました。

あまり良い内容でないことばかり。

 

現実なのか夢なのかの判断もつかなくて、精神的に辛い日も続きました。

 

慢性骨髄性白血病は、とても長い間かけて進行していく病気で、

健康診断の血液検査などで発見される場合も多く、ご本人には自覚症状が全くないまま治療に入る方もいます。

オッパの友だちの妹さんもまさにこれで、今は落ち着いて普通の暮らしをしているそうです。

私は、病院にかかることもなかったし、会社員ではないので健康診断も受けておらず、自覚症状が出てからわかりました。

なので、結構進行した状態です。

 

父は会社で仕事をしていましたし、出かけることも多かったですが、母はほぼテレワーク。

こんなに家にずっといるのは赤ちゃん以来!と逆に喜んでいました。

義妹は通勤が必要だったので、家に私も母もいるので、姪が保育園に行かずに家にいた日も多かったです。

姪がいてくれて、なんとなく気がまぎれました。

 

韓国にいつ戻れるのか?

オッパにいつ会えるのか?

分からないまま、この時はただ体調を少しでも良く過ごす事が課題でした。