検査結果は最終的にも残念な結果でした。
迷ってはいられず、治療を進めなくてはならず、その前に卵子を保存です。
オッパは、いますぐ結婚する。を強行しようとするし、私と両親はそれは無理と拒絶。
私がもっとワガママで、相手のことを考えない性格ならば、オッパの言う通りオッパと一緒にいたかったです。
でも、そうじゃなかったから、迷いました。
あんなインチキ臭い占いのせいで、今も独身で。あのとき結婚してたらこんな嫌な思いもしなかったのに。
私は、日本に帰ることにしました。治療が入院を伴ったり、最悪なことを考えた場合、迷惑をかけることがわかっているし、それはもうオッパだけではなくて、祖父母たち、イモやサムチュンたちにも迷惑をかける恐れもあるのと、
私自身そうなったときに、韓国という国での常識がなんなのかがわかっていないので、きついな。とも思いました。
でもオッパと別れる決断は無理でした。
コロナも一生続くわけではないし、少しだけ遠距離恋愛を続けて、私のビザは切れないし、良くなってきたらまたすぐ戻ってくる、普通の生活が出来るようになる、その時までちょっと離れようということで。しかも婚姻申告はしようと思えば離れてても出来るので。
一人で帰るのはとても不安でしたが、仕事がある母に、そのときの状況下での海外渡航は無理。両方の国でそれぞれ二週間の隔離。オッパは、日本のビザがなく、送ることも無理。
祖父母たちにも話は母から伝わっていたけど、一度日本に帰ってすぐまた来ることを伝えました。
シプモたちも会いに来てくれると言ったけれど、すぐに会えるように治しますと言って、帰国することにしました。
人の少ないインチョン空港で、オッパとお別れ。
考えてみたら、付き合ってから、日本に帰るとき、オッパが日本に来たとき、殆ど次会える日を決めてから離れました。
次会える日もわからない、コロナでオッパも来れないなんて。
私はタイミングの悪い女だなぁと思いました。
私がもっと利己的な考えだったらな。オッパだって結婚して、面倒見たいって言ってくれてるんだから、それに甘えてたのに。
聖書にこんな言葉があります。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
自分の思いを捨てることも愛情です。
キリスト教に関わらなきゃ良かったと思いました。中学からやってるからある意味洗脳されてます。こういう一つ一つの行動に現れてるような気がします。
4年間一緒に暮らして、一緒にいることが当たり前でした。いない生活がどんなものか考えることも出来ませんでした。
日本に持ち帰った荷物は、大きいスーツケース2つだけ。全部持つと帰れなくなる気がしてそれだけ持ちました。元々持ち物が少なかったのもあるけど、人はこんな程度で暮らしていて、他のものは全て必需品ではないんだと思いました。死ぬときはこれすら持っていけないし。そして死ぬときはオッパとも別れなきゃならないんだから、きっと今こうやって会えなくなった方が後で辛さが軽いかな?とも思いました。
いつもなら、ギリギリの時間まで一緒にいるんですが、今回は先に航空会社に相談したところ、診断書出して、制限エリアは人が付き添ってくれて車椅子と車みたいやつ?に乗せられることになりました。大袈裟と思ったけど、万が一倒れられたら向こうも困りますよね。
人目もありオッパは、泣きませんでした。それだけでも良かった。
病気よりも、オッパと離れたこのときが一番辛かったです。