オッパに、母から血液内科に行けと言われたことを話しました。
ネットで調べてくれたけど、どちらかというとお年よりの方がかかるらしく、若い人はあまりかからないから考えすぎ。大丈夫。
と、言ってくれたけれど。。。
今、このときのオッパの心境を聞いても、血液内科に行って、良い結果なんて出るわけがないことは分かっていたそうです。
せめて、力が出るようにと、漢方薬買ってきてくれたり、足をマッサージしてくれたりするようになりました。
数日後、オッパと血液内科に行きました。
血液検査、骨髄検査、染色体や遺伝子も検査しました。
怖いと言うよりも、
もうあまり長く生きられないんだなということしかなく、
オッパとは別れないとならないし、日本にも帰らなきゃ。
オッパと離れるの辛いなぁ
って、そればかり考えて、あまり医者の話しとか聞いてませんでした。
実は、身内に、急性骨髄性白血病でなくなった方が居て、産婦人科医で、万年過労だと思っていたので、発見も遅れ、移植しましたが半年持ちませんでした。
だから、死んでしまうんだなということしか、考えられなかったんです。
骨髄検査は、痛くて、怖くて、恐怖で吐きまくって、これだけは今でも嫌です。。。
ここまで書けば、みなさま分かると思いますが、
私の病気は
慢性骨髄性白血病でした。
原因は不明です。
遺伝でもなんでもないそうです。
何年もかけて悪化していき、慢性期、移行期、急性転換期と分けられます。私は症状が出てることや数値から、ギリギリ移行期だそうです。
実は、シアボジの、弟も同じ病気で亡くなりました。
病名を聞いたとき、オッパの顔色が真っ青になっていたのを覚えてます。
病院のあるあたりは、母が学生時代に過ごした場所でもあるので、小さい頃から連れてきて貰ってました。今はかなり少なくなったんですが、私の子供の頃は、アヒョンドンにウェディング通りがあって、通りかかる度に、母に結婚するときはウェディングドレスここで買ってねと約束させてたんです。
オッパが運転してくれて、帰る時、通りかかって。
それももう無理なんだなと思って、
横に居るこの人と一緒に歳をとりたかったなぁと思うと、
病院では泣きもしなかったのに、急に悲しくなって。
大声で泣きました。
オッパも、車止めて、めちゃくちゃ泣いて、とてもそのまま家に帰れる状態でもなく、しばらく二人で泣いてました。