「今お茶をお淹れしますから、どうぞゆっくりなさって下さい。お掛けになって。」
エルはアルバイト先で使うのとは少し違った口調で話した。こちらが本当のエルなのだろう。
上流階級といった落ち着いた風情のある雰囲気だ。
完全オートロック、管理人及び居住者が認識しない人間は立ち入りが出来ない厳重なマンションの中。
エルはやっと安心したのか負傷した足取りも軽い。
それにしても。
チラリと卓上に置いた本を目やり、僕は思考を巡らせていた。
これはどういったことか。この本をエルに贈ったのは誰なのか。
無論、エルは覚えが無いと首を傾げた。この本の内容をエルは知らない。
「ドイツ語かしら、、」
頁をめくろうとしたエルを僕は制した。
「大学の専攻でこの本を見たことがある。君にはとても見せられない。」
エルは察した様子で僅かまつげを震わせ差し出した手を引いた。
君の察した10倍は酷な内容だということは言わずにおいた。
一つ確かなことは。
僕以外に、エルを狙う者がいる、という事だ。
しかも、この本を手にする者。とんでもない異常者だという事だけは察しがついた。
と、同時に、僕は激しい嫉妬に見舞われた。
手の届かない代物を、敵は手に入れさらに、エルを恐怖に陥れる道具に使っているのだ。
脳が沸騰しそうだった。
「あっつ!」
エルの淹れてくれた紅茶を怒りに任せてすすったものだから、情けない声が漏れてしまった。
「ふふふ、どうぞゆっくりと、火傷など決してされませんように。」
「、、それにしてもいいお部屋ですね。羨ましいです。」
平生を装い、意識して余裕のある笑みを浮かべた。
なに、心配には及ばないさ。
少し予定とは早いが僕は今、最終目的地のエルの部屋の中にいる。
彼女をここに拘束さえしてしまえば、あとは僕の好きに弄ぶだけだ。
僕と同じスナイパーよ、君の贈り物のおかげで勝利は僕に降ったのさ。そしてこの本も、大きな戦果と思えば喜びもひとしおだ。
「両親の持ち物ですから仕方なく、、。でも、防音の部屋があるのでいつでも気にせずにバイオリンを弾けるのはありがたいと感謝しております。」
察しはついていたがやはり防音の部屋がある!
僕は小躍りせずにいられなかった。
これで下界には知れず思うまま君と耽美な時間を過ごすことができる。
気を許しているエルを拘束し、計画を実行する僕を脳内に浮かべて思わず笑みがこぼれた。
「笑って下さったわ!嬉しい、、あ、ごめんなさい、私ったら、、恥ずかしいわ、、」
慈愛に満ちた天使の笑顔で、エルが僕を見つめている。
エル、エル、僕という存在は今、君の中で最高潮の位置にあるだろうね。
槐(えんじ) エル。
そう、君の名前は エンジェル。あぁ、僕の天使。
さぁ、僕と共に天国へ行こう。